松浦一酒造「河伯のミイラ」 / 秀林寺「猫塚」

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今回はお隣、佐賀から「妖怪」に関する小ネタを二つ紹介します。

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【松浦一酒造】
伊万里湾に面した山代町に正徳6年(1716年)より酒造りを営んできた「松浦一酒造」さんがあります。
先祖の田尻氏は筑後の豪族で、鍋島直茂によって現在の土地を与えられて定住したそうです。
その家に伝えられる「かっぱのミイラ」があるというので、行ってみました。

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松浦一の煙突が、ひときわ目を引きます。

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素敵な蔵構えです。

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早速カッパがお出迎え。

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蔵の中に入ると古い酒造道具や農機具が並びます。

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その横では、カッパのおねえさんがお酒を注いでいました。

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蔵の中ではあらゆる「カッパグッズ」が展示されています。

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懐かしいイラストなどもありました。

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そして蔵の再奥に、

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いらっしゃいました。
「河伯のミイラ」です。

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昭和28年に母屋の改築をおこなった際に、屋根の梁に置かれていた箱から出てきたそうです。

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箱書きに「河伯」とあったので「河童」と認定されたそうです。
前足の指は5本あり後ろ足の指は3本。
現存する生物では考えられないような骨格構造をしているということです。

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河伯とは河童の意味と同時に、河の神も意味し、酒造りにとって最も重要な水を司る神として田尻家で祀っているそうです。

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僕は下戸なので酒の味はわかりませんが、清酒や梅酒はすっきりとして美味しそうです。
妖怪のミイラというのはいくつか各地に伝わっていますが、松浦一酒造さんのミイラはくっつけた跡も無く、本物っぽい気がします。
こうして気軽に公開されているところも少ないので、一見の価値ありだと思います。

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【秀林寺】
杵島郡白石の「秀林寺」(しゅうりんじ)に「鍋島の化け猫騒動」由来の塚があります。

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肥前は元は「龍造寺家」が主家であり、「鍋島家」はその宿老の家柄でした。
しかし「龍造寺隆信」が戦死すると、跡継ぎの「政家」が病弱だったために「鍋島直茂」が実権を握ります。
政家の嫡男・高房は現状を悲観して自殺を図り、その後に死亡。政家もその直後に病死して龍造寺家本家はついに絶えてしまいます。

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この悲劇から生まれた話が「鍋島の化け猫騒動」です。

その話の中で、初代藩主「鍋島勝茂」は、かつての主筋であった「龍造寺又一郎」を碁の勝負の諍いで斬り殺し、悲嘆した老母も自害します。
又一郎は猫を一匹飼っていましたが、その猫は二人の血を舐め、化け猫となって龍造寺家の怨みを晴らそうとしました。
やがて勝茂は病気になり、その子は急死、さらに肥前の町では怪異が続き、人々は龍造寺の祟りと恐れます。
勝茂の家臣らは、怪異の原因を探ろうと寝ずの番を交代で行いますが、いつしか眠気に襲われて夜通し起きていることができません。
ある時、「千布本右衛門」という勇猛な家臣が寝ずの番をしていると、やはり眠気が襲ってきます。
しかし本右衛門は手にした短刀で足を刺し、眠気を抑えて怪異の正体を見極めようと試みます。
本右衛門はついに勝茂の側室「豊の方」の正体が化け猫であることを見破り、槍で突き殺した。
夜が明けると屋敷の庭には、槍で突かれた傷のある大きな三毛猫の死骸がありました。
これによって怪異は収まった、かのように見えました。。。

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しかし化け猫の祟りはその千布家に向けられるようになります。
本右衛門以降、千布家には代々男子が育たず、他家から養子を取って家名を絶やさないようにしていましたが、
これは化け猫の祟りであると、本右衛門から7代目の当主が見抜きます。
当主は七つ尾の猫の掛け軸を菩提寺である秀林寺に納め、この猫の供養しました。
するとそれ以降、千布家は男子に恵まれるようになったということです。

明治の頃、化け猫の死体を埋めたと伝わる場所に、この七つ尾の猫を彫った祠を作り、猫大明神として祀りました。

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この「鍋島の化け猫騒動」は龍造寺家と鍋島家の肥前佐賀藩主交代という複雑な背景を元にした作り話です。
が、なぜかそれに由来する塚がここに存在しています。
まるでそこには本当に化け猫がいたかのように。

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そして「猫塚」の隣には、初代藩主「鍋島勝茂公」の供養塔も、なぜかひっそり佇んでいました。

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