海童神社:筑秦ノ饒速日 05

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秦の始皇帝を騙した男「徐福」、彼は秦に滅ぼされた母国「斉」の子供達3000人を連れ出し、東シナ海の大海原に船出し、遠く蓬莱の国日本を目指します。
船は100人ほど乗れた構造船だった可能性はありますが、それでも荒海に全員が無事、目的の島へたどり着けたわけではありませんでした。
ある船は別の地にたどり着き、またある船は海の藻屑へと消えて行ったと云います。

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佐賀県武雄市に「磐井八幡宮」(いわいはちまんぐう)があります。

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神社が鎮座する小丘は「磐井の砦」と呼ばれ、6世紀に筑紫の君「磐井」が、大和朝廷に謀反をおこした時、砦を築いたといい伝えられています。

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この神社の境内の一角に、「海童神社」があります。

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海童とは、徐福とともに渡航し、西出雲に2000人、佐賀に3000人渡ったとされる童男童女のことです。

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拝殿の横に小さな石の祠がありました。
これが海童神社でしょう。

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有明町の竜王埼にも「海童神社」があります。

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参道入口に石碑がありますが、

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その裏には、この地に徐福が来たことなどが書かれているそうです。

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また神社を中心として古墳群も存在ます。

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徐福が始皇帝を騙して連れ出した童男童女たちは、成人しても故郷に帰れず、筑紫平野方面で亡くなりました。

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海に消えた者、陸地で寿命を迎えた者、そうしたかつての童男童女をまとめて「海童神」としました。
海童は「わだつみ」と読み替えることもできます。
海神・海祇・綿津見となり、これは志賀島を本拠地とした安曇族が信奉する神とつながるのです。
綿津見大神は龍宮の神とも呼ばれ、龍宮の姫に「豊玉姫」と「玉依姫」がいると伝えます。
玉依姫は創作された神ですが、豊玉姫は宇佐神宮に祀られる豊王国の女王の名です。
豊王国とはいわゆる「邪馬台国」のことであり、その女王とは「卑弥呼」を意味します。
物部族と豊王国は連合して磯城大和王朝に東征をしかけますが、その末裔が安曇族であると僕は推測しています。

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参道に見上げんばかりの神木がありました。

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よく見ると二つの幹が途中で繋がっているようです。

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荒々しい表情。

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それは荒れ狂う八岐大蛇のようです。

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徐福は二度、日本へやってきており、一度目の上陸地「西出雲」にも「海童神社」があります。
徐福とともにやってきた者たちは佐賀では「物部氏」となり、出雲では本拠地を丹波に移し「海部氏」(あまべし)となります。
海部氏は丹波の籠神社・真名井社を聖地と定めますが、この「海」が後に書き換えられ「天」となります。
つまり天津族とは渡来系海津族の事となります。

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徐福は師「張仙」から「戦火に苦しむ民に幸福を与えよ」と告げられます。
しかし平地に降りた徐福がそこで見たのは、秦に滅ぼされた祖国「斉」の姿でした。
徐福は祖国の民が滅ぼされていくのを憂い、秦の始皇帝に不老不死の霊薬の話を持ちかけ、短期間二度にわたる日本渡来を決行します。
少しでも皇帝に疑われれば死罪を逃れられないリスクを負いながら、彼は合わせて5000人もの幼い民を、平和な日本へ連れ出すことに成功したのです。

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日本は平和な国でした。
大きな勢力を有した古代出雲王朝は、武力ではなく、言葉・説得による統治を為した国です。
僕が不思議だったのは、日本という小さな島国が、他の大国にあるように侵略を受け亡国とならなかったその歴史です。
中国でも戦乱は相次ぎ、国名が次々と書き換えられています。
しかし日本では太古にも渡来人がやってきて、その子孫が王族となっているのですが、それは日本という国を書き換えるものではなく、帰化し、あくまで日本人の王として君臨しているということです。

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日本に渡来した数千人の童男童女は、何人かの渡来人の大人もいましたが、その大部分は原住の日本の民に育てられたことでしょう。
美しく優しい国を、異国の人も守りたいと思い、またそこに永住の地を求めたのかもしれません。
彼らの御霊は日本を取り囲む海へと沈み、綿津見の神となって、以後も日本を守り続けてきたのです。

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