神宮に奉納する「堅塩」を、古代の製法で2000年以上作り続けている御料地があるというので訪ねてみました。
二見浦から1.5kmほど歩いたでしょうか、「御塩殿神社」(みしおどのじんじゃ)は三重県伊勢市二見町荘にありました。
御塩殿の読みは、神宮では「みしおどの」であり正式名称と思われますが、二見町では「みしおでん」と呼ばれているそうです。
入り口の鳥居の先には深い杜のトンネルがあり、ここが神聖な場所であることを感じさせます。
二見興玉神社は「伊勢の神宮125社」に含まれていませんでしたが、こちらはしっかり内宮の所管社に名を連ねています。
「堅塩」とは一般的には「精製していない固まっている塩、粗製の塩」のことを言いますが、ここでは「伊勢神宮に奉納される、神事に欠かせない三角錐に焼き固めた塩」のことになります。
いわゆる「盛り塩」のようなものです。
神宮の神事に用いる神饌などを調進する施設を御料地と呼びます。
その中でも神社とされる御料地は「御塩殿神社」の他に、絹布を調進する「神服織機殿神社」(かんはとりはたどのじんじゃ)と麻布を調進する「神麻続機殿神社」(かんおみはたどのじんじゃ)が松阪市にあるそうです。
「御塩殿」が見えて来ました。
なんとも神さびた佇まいです。
あまりの神々しさに、ここが社殿だと思いがちですが、違いました。
御塩殿は粗塩を焼き固め「堅塩」をつくる施設。
鳥居がありますが社殿ではありません。
では社殿はどこにあるのか、と言いますと、御塩殿の左手に小さな建物があります。
こちらが御塩殿神社の社殿で、鳥居はなく、内宮に準じた内削ぎの千木と6本で偶数の鰹木を持つ神明造となっています。
もともと御塩殿神社内に社殿はなく、御塩殿に祀られていたそうです。
祭神は「御塩殿鎮守神」(ミシオドノノマモリガミ)となっていますが、「塩土翁」(シオヅチノオジ)であったとする説も有力なようです。
地元の方でしょうか、僕より一足先に参拝されている方がいましたが、社殿の向かいにある杜に向かって、深々とゆっくり時間をかけて参拝されていたのが印象的でした。
御塩殿の右に、裏側へ続く道があるので歩いてみます。
鬱蒼とした杜の先、御塩殿のちょうど裏側の位置あたりに、
これまた何やら趣ある建物があります。
「御塩汲入所」(みしおくみいれしょ)と「御塩焼所」(みしおやきしょ)です。
当地からまた少し離れた五十鈴川の河口近くに、大和姫が定めたとされる塩田があります。
その塩田は「御塩浜」と言いますが、かつて製塩が盛んであった伊勢湾沿岸も、瀬戸内海を中心とした入浜式塩田が広まってからは衰退し、今は御塩浜を残すのみとなったそうです。
6月に伊勢湾からひいた海水を御塩浜に引き入れ、 鹹水(かんすい)という濃縮された塩水を作って保管する場所がこの「御塩汲入所」です。
地面に沈んでいるこの建物は、「天地根元造」(てんちこんげんづくり)と呼ばれる建築様式です。
そしてもう一つの建物は「御塩焼所」と呼ばれ、鹹水を鉄鍋で煮込んで、粗塩をつくる施設になります。
こちらも天地根元造です。
鹹水を煮詰める作業は8月に行なわれるそうです。
再奥まで行くと、美しい二見の海岸が広がっていました。
爽やかに吹く潮風が、僕の心身を清めてくれるようです。
再び御塩殿に戻って来ました。
御塩殿の右奥に、小さな建物があります。
これは「御塩御倉」(みしおのみくら)と呼ばれ、8月に作られた粗塩を保管する場所です。
毎年10月5日に御塩殿祭が行なわれ、より良い堅塩がより多く得られるように祈りを捧げます。
12月と3月の2回にわけて塩は一辺10㎝ほどの三角錐の陶製容器に詰められ、舞錐で起こした火である「忌火」を使って御塩殿内で焼き固められます。
「忌火」とは「清浄な火」のことで、木と木をすり合わせて発火させる「火鑽り」で熾し神事につかう特別な火です。
年間約300個ほど作られた堅塩は、堅く真っ白な姿で、神々しいそうです。
明治維新の時、新政府の「上知令」によって、全国の寺社から境内を除く全ての領地が没収されました。
この時、御塩浜も例外ではありませんでした。
その後、明治10年(1877年)に神宮が土地を購入し、御塩浜を神領として取り戻したと云います。
それから20年後の明治30年(1897年)にようやく御塩浜と御塩殿神社での御塩調進が再開され、粛々と今も「堅塩」が作られ続けているのです。
伊勢の神宮が神代の創建だとするのに自ら明らかな否定証拠を暴露しているような施設の一つです。
何故なら、太古から中世以前にかけての製塩は藻塩製塩だったからで、
それは、万葉集にも藻塩製塩に関した歌(🎵藻塩焼く、、、)が幾つも詠われた事からも明らかです?
ただ、生産効率は絶望的?に悪くコストも労力も大変でした。
その代わり?ミネラル豊富で旨い塩です。
神代~古代の塩は藻塩による物と考えます。
(近年、藻塩紛いのモノが発売されるようになりましたが、値段がかなり高級です(精製塩の数十~倍。100グラム500円以上))
また、入り浜式塩田による製塩(大量生産)は中世以降に導入されたものだから、神代から連綿と継承する、、、は嘘っぱちになります。
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藻塩!神代~古代の製塩は藻塩でしたか。
最近読み始めた菅原道真と在原業平が主人公のコミック「応天の門」にも、在原業平邸で藻塩作りと思われる描写があったので、興味を持っていたところでした。
対馬に行った時に入った居酒屋で、刺身を注文した時に、醤油の代わりに勧められたのが藻塩でした。
優しい塩味に潮の風味が豊かで、新鮮な刺身の味も際立ったのを思い出します。
そういえば出雲の神社のいくつかで、玉のついた藻が掛けられた「厳藻かけ」というものを見かけましたが、これも藻塩作りに縁があるものでしょうか。
淡路島といえば藻塩作りも盛んだと聞き及びます。
口にする機会も多いのでしょうね、羨ましいです!
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