對馬国下県郡の城山にあった日本の古代山城「金田城」(かなたのき/かねだじょう)を訪ねてきました。
と、その前に、糸島にある「伊都国歴史博物館」を拝観しました。
倭の境界『對馬国』という特別展が行われていましたが、残念ながら撮影は常設を含めて一切禁止となっています。
博物館系は撮影OKのところも多いので、ちょっと残念。
唯一許されたのは、この銅鏡のレプリカのみでした。
というわけで金田城を目指します。
城跡入口までは車で進めますが、道は狭いです。
入口付近に整備された駐車場はありませんが、ちょっとしたスペースに数台停めることができます。
そこから先は、なだらかな坂道を歩いて行きます。
実はこの時、白嶽を登山してきた直後だったのですが、先ほどに比べてはるかに歩きやすい道に安堵しました。
ところで金田城が最近注目を浴びるのは、
やはりこれ、『アンゴルモア』の聖地巡礼においてではないでしょうか。
蒙古襲来對馬戦の最終決戦の場の設定が金田城となっています。
が、実際には元寇の際の戦場になった記録は無いようです。
しかし同じ白村江の戦いの遺構である「水城」や「大野城」が、元寇の際に再利用されたことを踏まえると、あながちフィクションとも言えないところです。
金田城は朝鮮式古代山城の一つとされますが、他の古代山城が土塁を主とするのとは異なり、その全貌は約2.8kmにもおよぶ石塁が全周する石の城壁に囲まれた要塞でした。
これほどの城を築かせたのは、そう、白村江の戦いで大敗し、超大国「唐」の侵略を恐れた「天智天皇」でした。
空が見えてきました。
その先には、
黒瀬湾が望めました。
オーシャンブルーの、美しい海です。
そこに石垣がありました。
東南角石塁です。
万里の長城を思わせる、良好に遺存した石塁の高さは、低い所で2,3メートル、高い箇所で4,5メートル、谷部では6メートルに及ぶと言います。
道はここから山頂方面と三ノ城戸方面に分岐しています。
右に降りていくと「三ノ城戸」と呼ばれる石垣がありました。
東南角石塁まで戻ると、「南門」の遺構がありました。
城壁と門、そう既に僕は、金田城城内に入り込んでいるということです。
そこからまずは、城山山頂を目指します。
金田城跡のある城山(じょうやま)は、浅茅湾に突き出た岩山です。
金田城入口から山頂までは、約50分のトレッキングコース。
途中には石垣のほか、炭焼き跡らしき石積みや、住居跡なども散見されます。
城は城山の急峻な自然地形を利用して築造されており、頑強な石垣で要塞化されたことが窺えます。
南西部石塁が見えてくると、もう一息で山頂です。
山頂部が見えてくると、
近代的な建物の遺構がありました。
城山砲台跡です。
久しく廃城となっていた金田城は、日露戦争時に再度要塞化され、砲台や軍の施設が整備されました。
建物に蔦が絡み、ラピュタ化しています。
ここから山頂には、短くも険しい道を進みます。
そしてついに、
山頂に到着しました。
そこに広がる景色の
なんと美しいことか。
城山は三方を海が囲み、
南西側のみ急峻な陸続きとなっています。
目の前に広がる複雑に入り組んだ入江は浅茅湾であり、その先には朝鮮半島方向を望むことができます。
金田城は国境最前線基地として、正に最適な立地なのです。
しばし山頂で景色を堪能したあと、途中にあった東屋(休憩所)まで下り、来た道とは別の「大吉戸神社」を目指すコースへ進みます。
結構な山道を降って行きます。
ビングシと呼ばれる場所に出ました。
そこには門の礎石が残っています。
門跡の左右は
土塁のようです。
また防人の居住跡も見つかっており、ここが重要な場所だったことを窺わせます。
門跡を通り過ぎ、再び下降して行きます。
そこに見事な城壁がありました。
二ノ城戸です、
中央には高低差を伴う門があります。
石垣は復元されたもののようですが、重厚な迫力があります。
二ノ城戸から5分ほど降ると、
一ノ城戸に出ます。
「雉城」(ちじょう)と呼ばれる張り出しが見られます。
石垣は、下部が未加工の石材を築いているのに対し、上部が平板状の砂岩を用いています。
これは後世に修築が行われたものと考えられています。
また城壁の下部に水門も設けられていて、当時の技術の高さを物語っています。
さらにぐいぐい降ると、
ついに海に出てしまいました。
美しい入江がそこにありました。
黒瀬湾の一部、
清らかな海が広がります。
海から神社の参道が続いていますが、
ここは金田城の入口でもあったのでしょう。
参道の先にあるのが「大吉戸神社」(おおきどじんじゃ)。
八幡神を祭り、城山の守護としたもの。
別名を「中津八幡宮」とも言います。
潮の香りを感じさせる狛犬。
当社は歴代対馬藩主「宗家」の尊崇も厚かったと云われ、ここで国防・国家安泰も祈祷されたことでしょう。
社殿は古びていますが、きちんと整えられ、今も島民の崇敬を受け続けています。
老朽化した拝殿。
本殿には宗家が納めた神輿が安置されているそうです。
金田城でもここまでやってくる観光客はあまりいないようです。
ひっそり佇む神社を後に、車を停めた金田城跡入口まで戻らなくてはなりませんが、
ピングシ山から三ノ城戸、東南角石塁へと登る帰路が待っていました。