
福島県南会津郡下郷町、南会津の山中に江戸時代の町並みを残すノスタルジックな集落があります。
「大内宿」(おおうちじゅく/おおちじゅく)を訪ねます。

大内宿は南会津の深い山間にあり、全長約450mの道を挟んで寄棟造の民家が建ち並んでいます。

江戸時代には会津西街道(下野街道)の「半農半宿」の宿場として栄えましたが、現在では江戸の町並みを残す福島を代表する観光地としての生業を強くしています。

夏はフェーン現象で暑く、冬は豪雪となる大内宿。
僕が訪ねた時は当地に鎮座する「高倉神社」の半夏祭りの日でしたので、集落中に幟が立っていました。

大内宿は江戸時代に会津西街道(下野街道、南山通り)の宿場として、寛永20年(1643年)頃に開かれました。
同街道は、若松城から江戸までは61里、5泊6日ほどの旅程でしたが、若松から5里の距離にある当地は会津藩の参勤交代の重要な駅となります。

延宝8年(1680年)、江戸幕府が参勤交代の脇街道通行を厳しく取り締まるようになると、会津藩の参勤交代は大内宿を通るルートから白河街道を通るルートへ変更されました。
その後は会津西街道は「中附駑者」(なかづけどじゃ)と呼ばれる流通業者が主に使用する街道となります。

天和3年9月1日(1683年10月20日)、日光地震が起きます。
これによって戸板山が崩壊し堰止湖が発生、街道の一部が水没しました。
会津藩は会津西街道の復旧を試みますが、代替路として開通した会津中街道に物流はシフトしてしまいます。

40年後の享保8年(1723年9月9日)、大雨によって堰止湖が決壊すると会津西街道は復旧しますが、定着した他の街道との物流競争は激しく、大内宿は純粋な宿場町ではなく「半農半宿」として存続の道を歩みました。

慶応4年/明治元年(1868年)の会津戦争(戊辰戦争)の戦禍を逃れた大内宿でしたが、新街道の「日光街道」、また岩越鉄道(現JR磐越西線)の開通に伴って、南会津の物流も止まり、大内宿の宿駅としての地位は完全に失われていきます。

やがて昭和の近代化によって旧街道沿いにも赤や青のトタン屋根が目立つ中、旧宿場の町並みを残す大内宿を再評価する動きが活発になりました。
昭和45年(1970年)のNHK大河ドラマ『樅ノ木は残った』でもロケ地として選ばれています。

その後も近代化とのジレンマはありつつも、昭和56年(1981年)4月18日に国の重要伝統的建造物群保存地区として選定され、「大内宿保存会」が設立されて住民による町並み保存活動が始まり、「大内宿を守る住民憲章」が制定されました。



大内宿の再奥部まで来ました。

その丘陵を登ると、

侘びた子安観音堂や、

弁財天社があります。

雑草が生えた子安観音堂の茅葺屋根はとても趣があります。

江戸時代中期の延享3年に正法寺の住職が勧請した子安観音像を本尊として祀り、大内宿の女性から篤く信仰されています。

そして子安観音堂から振り返れば、そこにはまるで時代をタイムスリップしたかのような光景が広がっていました。

平成に入ってからも旧街道の無電柱化を実現したり、土の道を復元して、本来の大内宿の保存に住民の方々は尽力されてきました。

その甲斐もあり、第1回の「美しい日本のむら景観コンテスト」や「日本の音風景100選」、「美しい日本の歩きたくなるみち500選」、「手づくり郷土賞」、「わたしの旅100選」など、様々な賞に選ばれています。

そして当地に訪れたなら是非食したいのが名物「高遠そば」。

「ねぎそば」の愛称で親しまれるその姿は、そばの上にネギが豪快に丸々1本添えられています。

「ネギのように細く長く、白髪の生えるまで長く生きる」というお祝いの意味も込めて、ねぎを添えるようになったと云うことですが、このねぎを箸代わりにして食べるのが大内宿流。

そばが引っ掛けられるように根元が曲がっていますが、実際には掻き込むようにして食べるのが楽です。
そしてそばを食べる際に、薬味としてネギも少しかじると良いのですが、残しては申し訳ないと思った僕は、ほぼネギを完食しました。
ネギは辛く、口中ネギ味になってしまいました(笑)


腹ごなしを済ませたら、大内宿の中ほどに参道がある「高倉神社」を参拝します。

当日開催される「半夏祭り」(はんげまつり)は、家内安全、五穀豊穣を祈願して、天狗を先頭に烏帽子をかぶった白装束の男衆らが、集落中を厳かに練り歩く祭りです。
山車も出て、時代装束に身を包んだ氏子らが引き回す、賑やかなお祭りのようです。

とても気になりましたが、帰りの航空便の時間もあり、残念ながら祭りの参観は諦めました。

なので、せめて高倉神社には参拝したいと足を伸ばします。

集落から田園の小道を進むと、こんもりとした杜が見えます。

三の鳥居をくぐると、

天然の川を利用した手水が設けられていました。

清らかな水で、手口を洗います。

杜の気を感じる参道。

小社ながらに歴史を感じさせます。

小高い丘の上に建つ社殿。

当社は後白河天皇の第2皇子「高倉以仁王」の霊を祀っていると伝えられます。

高倉以仁王といえば、平清盛に反旗を翻した人物です。

ご神体は神輿に収められているようでした。

社殿の裏手に回ると、樹齢800年、樹高56mの高倉の大スギがそびえ立ちます。

見上げた高さに圧巻。

高倉以仁王を高倉大明神として観請し、以前は5月に祭礼を行っていたそうです。

しかしその時期が田植えに重なり大変忙しいため、一年の半分である半夏に祭りが移されて現在の「半夏祭り」となりました。

この辺りでは、雪が多いため田植えの時期が遅く、「半夏祭り」までは田植えを済ませる様にとなったということです。



昭和60年頃までは約2万人ほどだった観光客は、バブル景気に伴い、平成9年には60万人を超えました。

その後も様々なCM等に使用され、平成19年には100万人を突破し、県内有数の観光地となります。

しかし平成23年(2011年)3月11日の「東日本大震災」により団体観光客のキャンセルが相次ぎ、観光客は2011年度は約58万人まで半減しました。

当地は、事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所から直線距離で100km以上離れています。
平成25年(2013年)のNHK大河ドラマ『八重の桜』が放映されると、やや観光客は増加しましたが、以前ほどではないそうです。
貴重な歴史資産を守るためにも、またより良いシャッターチャンスのためにも、大内宿を訪れるなら今がその時だと思われました。

大内宿、初めて知りました!ジブリで出てきそうな所ですね!行ってみたいです。
なるほど、ジブリという発想はなかったですね。
でもたしかにそう。
生活感のある白川郷よりはちょっと商業寄りになっている感がありましたが、人が少ない分、のんびり散策できました。
行かれたら、ぜひ「ねぎそば」食べてみてください(笑)
ネギまんま乗ってるんですね!
白ネギはまだ食べれるんですが、黄緑色の部分は苦手で😅
でも頼まなきゃですね!
Molto interessante e molto bello questo posto! Sembra che il tempo si sia fermato con queste case coi tetti di paglia… tutto molto bello davvero!
In Giappone, ci sono diversi luoghi in cui rimangono tali vecchie città.
Il tempo sembra scorrere lentamente lì.
Favoloso!!!