さていよいよ御陵に向けて出発です。
ブッシュが深くなってきたので、熊除けの鈴を装着。
標識は細かく設置されており、道に迷うことはありません。
ただどこまでも、道は続きます。
比婆山(ひばやま)は、広島県庄原市にある標高1264mの山(比婆山連峰の最高峰は立烏帽子山1299 m)。
中国山地中部にあり、比婆道後帝釈国定公園に属しています。
しばらく歩くと、案内板が見えてきました。
なるほど、この辺りの樹木はブナでしたか。
ブナといえば青森のマザーツリーが印象的でしたが、確かに女神の御陵を見守るのにふさわしい、柔和な樹木です。
目的地が近づいてきました。
池の段を降ったところから御陵までは、なだらかな坂道を登っていきます。
ゆっくり登っていけばそれほど厳しい道ではありませんが、いつも予定詰め詰めの僕は、時間を惜しんでハイペース。
なのでまあ、結構きついです。
ゴツゴツとした石がたくさん現れ始めたら
もう一息。
僕が三次に住んでいたのは、25年ほど前のこと。
その時、幻想的な御陵の写真を見て、当地への参拝を夢見たものです。
一度は登拝を試みるも、当時はインターネットも今のように普及しておらず、麓の熊野神社までしか到達できませんでした。
もう、あれから25年かぁ。
何か雰囲気の違う木が立っています。
これは「門栂」(もんとが)というのだそう。
天然の樹木による結界、鳥居のようなものでしょうか。
「木の母」と書いて「とが」。
正しくは「いちい」だそうで、東洋における最長寿木、古代神殿造営材として重用されたもので、アララギの語源があるのだそうです。
しかし結界の一本は、無惨にも折れていました。
代わりに神籠石のような磐座が背後に鎮座しています。
「神聖之宿処」の石碑、
その先はついに念願の
比婆山御陵が姿を晒していました。
こんもりと盛られた円丘の上に置かれた磐座。
その場所はイチイの木に隠され、ブナの木に守られて在りました。
ここが古事記にいう、伊邪那美命を葬った比婆山であるとされ、古来より信仰の対象となってきた場所。
古事記に「伊邪那美神は、出雲国と伯伎国との境の比婆山に葬りき」と記され、この山が「御陵の峰」だと伝えられます。
なるほど、イザナミ神話が架空のものだとしても、当地には名のある戸畔が眠っているのかもしれない。
とても静謐な場所であり、太古から時が止まっているような、そんな気がしてきます。
いつまでも留まっていたい魅力を感じつつも、名残惜しく当地を後にしました。
さて次の予定もあることなので、帰路を急ぎます。
が、ここで気になる標識が。
太鼓岩へ100m、産子の岩戸へ150m。
う~む、気になる。
駆け足で寄り道してみれば、小さな神社がありました。
「命神社」(みことじんじゃ)、広島で最も標高の高い神社だそうで、ここが奥宮、イザナミを祀る真の聖地であるということです。
まるで磐境のような石組に囲まれた、小さいながらに厳かな神社。
その背後に何かあります。
なんだこれは!見事な円錐形。
そして積み木を積み合わせたような造形。
これが太鼓岩、正式には「恵蘇烏帽子岩」(えそえぼしいわ)と呼ばれる磐座で、この比婆山信仰で特徴的なものとなります。
なにゆえ特徴的というのか。
『日本誕生の女神 伊邪那美が眠る比婆の山』-庄原市比婆山熊野神社解説本編集委員会-の資料から。
比婆山の御陵、及び命神社には非常に対称的な4つの参道が設けられ、複数の神籠石に囲まれ、更に備後烏帽子岩と出雲烏帽子岩に南北を挟まれる形で神域が形成されているからなのです。
そして奥宮の背後に鎮座するこの恵蘇烏帽子岩が、中でも最も重要な烏帽子岩であり、それを裏付けるものがさらにこの奥にあります。
岩だらけの道、
巨石もころがる
その道の先には、
これはー!
I ☆ ZU ☆ MO ☆彡。
なんということでしょう、まさに出雲の女神の磐座が堂々と鎮座しているのです。
これが産子の岩戸と呼ばれるものですが、紛うことなき出雲のサイノカミの磐座です。
今にも赤子を産み落とそうとする姿に似ていると案内板にありますが、
その姿は夫婦岩のそれ。
こんな岩に興奮しているおっさんを見て、人はTHE HENTAIと思うかもしれませんが、僕は至って紳士です。HENTAIという名の紳士です。
古代には出産は命懸けであり、また幼児の生存率もかなり低いものでした。
人はいかにして子孫を残すかということが何よりも重要なことであり、命を世に生み出すということはことさら神聖なものだったのです。
たぶん。
山奥で、山頂でこんな磐座を発見すればそりゃテンションあがりますわ。
誰だって頬をすりすりしたくなるはずです!いやしないけど、僕はね。
それにしても素通りしなくて良かったよ、たぶんこれが真の御神体。
御陵だけでは片参り、どころじゃなかったって話です。
考えてみれば、すぐお隣は奥出雲です。
出雲族がなだらかな女神の神奈備を登り、そこにこの磐座を見つけた時はエキサイトしたことでしょう。
下の太鼓岩はこの産子の岩戸に合わせて作ったものかもしれない。
そして天宮山の磐座の側に王族の遺体を埋葬したように、御陵に名のある戸畔を埋葬したのでしょう。
思いっきり疲れがぶっ飛びました。
比婆山御陵の情報はずいぶん流れるようになってきましたが、この産子の岩戸の情報はほとんどみかけません。
また富家の伝承を知らなければ、この磐座を見ても、せいぜい中学生が喜ぶ程度の卑猥な想像をして終わるのが関の山。
ここに出雲を感じることはなかったでしょう。
ちなみに護符の水という水が湧き出ていると案内板がありましたが、見渡してもそれらしきものはなく、枯れてしまっているのかどうか。
さて帰路につくとします。
行きも遠かったが、帰りも遠い。
沢をいくつか乗り越え、
ひたすらに、キリコ号が待つ立烏帽子駐車場を目指します。
帰り道もなかなかの上り坂。
ぐぬぬ、と登った先に何やら物陰が。
ひ、ヒバゴンなのか!?
なんじゃこりゃ、ずり落ちんばかりの巨石が登場です。
こいつがラスボスか!
これは「千引岩」(ちびきいわ)。
命辛々逃げ延びたイザナギは、黄泉の入り口をこの大岩で塞ぎました。
怒ったイザナミは「こんなひどいことをするなら貴方の国の人を私は1日に1000の人間を殺してやるわ!」と叫びます。
これに対しイザナギは「愛しい人よ、それなら私は産屋を建てて1日に1500の子を産ませるよ」と返したという。
国をも造った仲睦まじい夫婦神は、黄泉比良坂を後に離縁したのでした。
ということは僕が下山してきた道はヨモツイクサが迫ってくる黄泉比良坂だったのか。
ということは、ひょっとしてヒバゴンや全裸のおっさんはヨモツイクサであったか、なるほど納得。
でもこの千引岩、道塞いでいなんですけど。
やってくるじゃん黄泉の国から、いろんなモノが。。
なんて後ろを振り返りつつ歩みを進めれば、いつの間にか、我が愛しのキリコ号のすぐそばまで来ていたのでした。