壱岐の中ほどにある「月讀神社」(つきよみじんじゃ/つくよみじんじゃ)は神秘の神社です。
ツクヨミはアマテラス、スサノオと同じく、禊をするイザナギから生まれますが、その詳細はあまり語られていません。
古くは「山の神」を祀っていたとされる現在の月讀神社は、
江戸時代にに平戸藩の命を受けた橘三喜が当神社を「月読神社」に比定たことに始まります。
三喜が式内社と認定したのはここが「清月(きよつき)」と呼ばれていたからですが、
別に「ふかつき」とも呼ばれており、その語源は「ふかふち」であると見られるので、
この三喜の判断には疑問が持たれているのも事実です。
月讀神社では「月読命」「月夜見命」「月弓命」と、すべてツクヨミを示す神が祀られています。
月読とは月齢を数える事であり、つまり太陰暦を表しています。
稲作、潮の満ち引きと関係が深い神様です。
月夜見の「見」は心霊を表しています。
従ってこの神様は月を神格化したものです。
月弓とは弓の形をした三日月を神格化したものです。
「日本書紀」によると487年、阿閉臣事代(あへのおみことしろ)が任那に使いに出された時、壱岐島で月神が憑りついて「私は月神である。私を京都にまつれ。もし、私がいうようにすれば日本国中が幸せになるだろう。」と宣託をしたとあります。
これを天皇に奏上し、壱岐の県主(あがたぬし)「忍見宿祢」(おしみのすくね)に命じて、壱岐島から月神を勧請して葛野坐月読神社を創建したそうです。
これは現在京都の松尾大社の摂社となっている月読神社のことで、壱岐の月讀神社は全国の月読社の元宮とされ、忍見宿祢によって本土に神道が根付いたとされることから、月讀神社が神道発祥の地と云われるようになります。
神功皇后が出産を遅らせるために腰に巻いた「月延べ石」の一つが納められ、その石は他に「鎮懐石八幡宮」と壱岐の「月讀神社」にあると云われています。
本殿の横には別の赤い鳥居があり、小さな祠の先に杜が広がっています。
富氏伝承によると、月讀神は豊前宇佐にあったという豊王国「邪馬台国」の女王「豊玉姫」らが信奉する神でした。
豊王国の歴史は古く、古代出雲王朝より以前から存在していた可能性もあると云います。
そのころに壱岐島の月讀神は祀られ始めたのかもしれません。
それを思えば、神道発祥というのも、あながち間違っていないということになります。
本来の月讀神社は今のところではなく、別のところだったという主張も多いようです。
その中でも一番有力なのが「箱崎八幡神社」です。
箱崎宮を勧請したので今の社名になったそうです。
なるほど、と思えなくもない雰囲気でしたが、
やはり僕には、今の月讀神社の方がそれらしい感じを受けました。
歴史的には箱崎八幡神社の方が月讀として正式なのかもしれませんが、長年多くの人の思いを受け止めるうちに、
今の月讀神社にその神威が備わったのかもしれません。
聖地とは元からある自然の気と、人々の願いの調和が長い時を経て生み出されるものかもしれない。
月讀神社の深い杜からは、確かに月光に似た霊気を感じたように思いました。