原城跡

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徳川幕府は禁教令を発布し、キリシタンの徹底的な弾圧が始まりました。
島原の藩主「松倉勝家」はこれに乗じ、無謀な重税を課し残酷な刑を執行、禁教に名をかりて領民をおどします。
1637年(寛永14)、ついに激昂した領民は次々と代官を襲いました。
そして「湯島の談合」で蜂起することを決意。
そのシンボルとして担ぎ上げられた人物が神童「天草四郎時貞」でした。

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島原の郷土料理のひとつ「具雑煮」は、原城に籠城した一揆軍が、持ち寄った山海の食材や餅を、ひとつの鍋に煮込んで食べたのがはじまりといわれています。
海の幸と山の幸であふれる、あつあつの具雑煮は、野菜のやさしい甘味とたくさんの丸餅が入って、身も心もあたたかくしてくれます。
島原に数店ある「姫松屋」さんでも、美味しくいただくことができます。

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島原の乱とは関係ありませんが、島原の豊かな湧水は「島原そうめん」を始め、様々な美食を生み出しています。
その中でも素朴なスイーツ「寒ざらし」は僕も娘も大好物。
単なる白玉のシロップ漬けですが、ほどよい甘さが心を満たしてくれます。

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寒ざらしは、明治の和洋折衷の木造屋敷で、湧き水の池をながめながらいただける「しまばら水屋敷」さんがおすすめ。
ご夫婦二人だけで営んであるとのことですが、ノスタルジックな空気に、のどかなひと時を過ごせます。

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さて、農民一揆を引き起こした天草四郎らは、「森岳城」(島原城)と「富岡城」を攻めますが、これを落城することができませんでした。
そこで島原と天草の領民ら「約3万7千人」は、廃城となっていた原城に立てこもります。

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「島原一揆松倉記」によると、一揆に加わったのは、三合村で1420人、島原村で425人、中木場村で635人、深江村で1640人、安徳村で180人、布津村で1103人(村人全員)、堂崎村で860人(村人全員)、有馬村で4545人(村人全員)、別の有馬村で5172人(村人全員)、口津村で2949人(村人全員)、串山村で1962(村人全員)、小浜村で1067人、水石村で825人、合計23888人であったと云います。
これに天草の一揆軍が加わり、原城には3万余の人数が籠もっていたということになります。

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それに対し、幕府の攻城軍は、総数12万人にも達したそうです。

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籠城は3ヶ月も続きます。
一揆軍は弾薬・兵糧も尽き果てますが、それでも必死の抵抗を見せます。
幕府軍の戦死者も1千人に及ぶ頃、ついに寛永15年2月27日から28日にかけて総攻撃を行いました。

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これにより、一揆軍は老人や女子供に至るまで一人残らず皆殺しにされました。
この時の様子を、幕府軍の総大将であった「松平輝綱」は
「あまつさえ童女の輩に至りても、死を喜ぶ。平生、人心の致すところに非ず。彼の宗門に浸浸たる所以なり」
と記し、殉教を重んずるキリシタンの信仰ゆえに全員が喜んで死を受け入れたと伝えています。
一揆軍の中で生き残ったのは、天草四郎につぐ副将でありながら、幕府軍との交渉の役目を利用して幕府軍に内通した「山田右衛門作」(やまだえもさく)ただ一人だったと云います。

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本丸跡に着くと「空壕」(からぼり)という場所がありました。
島原の乱で籠城していた際には防衛用として使われた場所で、戦にでない女性・子どもなどが隠れていたと言われています。

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島原の乱の終結後、原城が再び一揆の拠点として使用されることのないよう幕府は徹底的に原城を破壊します。
虐殺された一揆軍3万7千人の遺体は、廃墟となった原城の敷地内にまとめて埋められたといいます。
苛政により乱を引き起こした島原藩主の松倉勝家も、罪人として斬首に処せられたそうです。

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空壕のそばに、「ホネカミ地蔵」と呼ばれる寂しげな地蔵があります。

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これは明治3年に有馬村願心寺の注誉上人が島原の乱で亡くした人々の骨を敵・味方の区別なく拾い、霊を慰めた地蔵尊塔です。
平成2年の発掘調査でも、破壊された城の残骸の中に大量の人骨や、当時の十字架、メダル、ロザリオ等が発見されています。

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「ホネカミ」とは「骨をかみしめる」という意味です。
「自分自身のものにする」、更に「人々を済度する」と理解すべきだと言われています。

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城壁跡にそって歩いてみます。

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島原の乱では皆殺しにされた一揆勢に注目が集まりますが、幕府側にも壮絶な死者が出たそうです。
「黒田家」討死213人、手負1658人、
「黒田家分家」討死39人、手負471人、
「鍋島家」討死116人、手負683人、
「有馬家・久留米」討死78人、手負185人、
「立花家」討死127人、手負393人、
「松倉家」討死21人、手負99人、
「小笠原家・小倉」討死25人、手負203人、
「小笠原家・中津」討死19人、手負148人、
「松平丹後守家」討死31人、手負127人、
「水野家」討死106人、手負382人
「有馬直純家」討死39人、手負312人、
「戸田家」討死4人、手負32人、
「松平伊豆守家」討死6人、手負103人、
など合計、討死1127人、手負7008人となっていると云います。

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またこの戦いによって、近郷の村々は無人になってしまいました。

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今、この近辺に住む人は、島原の乱の後、外部から入植した人々の子孫だそうです。
地図上の一地区の住人を全て消してしまうほどの大虐殺が行われたのです。

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陸側は幕府軍に包囲され、海側は幕府軍の要請で参戦したオランダ船2隻が、約10日間、原城めがけて砲撃を続けます。
海からの砲撃は400発以上続いたと云います。

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本丸の中心へとやってきました。

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錆びた、十字の塔が建っています。

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そして天草四郎時貞の像もありました。

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祈るように、憂いを帯びた四郎の像は、見る人の心を揺さぶります。
彼らの祈りは、神の国へは届かなかった、ということなのでしょうか。
それとも殉教の末、彼の地へと至ることができたのでしょうか。

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広場には、慰霊碑と思われるものがいくつかありました。

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果てしない死があったこの場所では、未だ彷徨う霊を見たという話も多くあります。

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こちらの慰霊碑は原城跡を攻めた側の犠牲者のもののようですが、この前に立つと、なぜかひんやりとしていたという人が多いようです。

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そして花々に囲まれるようにして、天草四郎時貞の墓碑もありました。

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天草四郎はキリシタン大名で名高い「小西行長」の家臣、益田甚兵衛好次の子で、本名を「益田四郎時貞」といいます。
洗礼名は「ジェロニモ」とか「フランシスコ」などどいわれています。

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島原の乱に際しては、若干15才という若さで一揆軍の総大将になりますが、乱は88日間の原城籠城の末、幕府軍の総攻撃により終結します。
四郎はこの本丸で首を切られ、長崎でさらし首にされました。
この墓碑は、西有家町にある民家の石垣の中にあったものをこの場所に移したものと伝わります。

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四郎の墓碑の背後には、海を眺める3体の地蔵がありました。
一揆軍は、ポルトガルからの援軍を待っていたといわれますが、海からやってきたのはオランダ船による大砲の砲撃でした。

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「痛ましき 原の古城に来てみれば  ひともと咲けり 白百合の花」

この時は水仙が咲いていましたが、ひっそりと咲く白い花は祈りを捧げるキリシタンの姿のようにも見え、そこには一陣の風が吹き抜けていきました。

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