武雄には神功皇后の妹で、武内宿禰の恋人と噂される「淀姫」を祀る神社が2つほどありました。
ひとつは徐福伝説も残る、不老不死温泉郷「武雄温泉」の裏手にひっそりあります。
蓬莱山と称される尖った岩山の麓へ向かいます。
崖の側面に、小さな祠がありました。
どうやらこれが淀姫社のようです。
武雄市朝日町にある、「淀姫神社」へやってきました。
民家の裏手にひっそりとあり、
「がばいばあちゃん」ロケ地で有名な小川のそばに鎮座します。
この日は雨だったこともありますが、しっとりとした、雰囲気の良い神社です。
淀姫を祀る神社としては嘉瀬川下流に鎮座する「與止日女神社」(よどひめじんじゃ)が有名です。
背後にある美しい御神木が、拝殿と本殿を包み込むように覆っています。
当社でも淀姫は神功皇后の妹であり、また、豊玉姫であるとも言い伝えられています。
豊玉姫といえば宇佐豊王国の女王となります。
また古事記によると神功皇后の妹は虚空津比売(そらつひめ)となっていて弟は息長日子(おきながひこ)となります。
しかし佐賀付近では神功皇后の妹は「豊姫」であるという伝承も多く、このあたりは謎に包まれています。
別伝によると、嘉瀬川川上には「世田姫」(よたひめ)という神がいたそうです。
海の神が魚の群れになって、毎年川をさかのぼり、この神の元へ来るそうで、この魚を畏む人には災いがないが、捕って食べると死ぬことがあると言い伝えられていました。
與止日女神社から川を遡ると、「巨石パーク」があり、その奥地に與止日女神社の元宮とされる巨石の祭祀場が残されています。
これは世田姫=與止日女の伝承が海祇の姫巫女「豊玉姫」と置きかわり、さらに神功皇后の伝承に結びついたということなのでしょうか。
当「淀姫神社」の境内にある由緒書にも、淀姫は「豊姫」のことで「神功皇后の妹」であると書かれています。
神社の創建のいわれは、神功皇后の朝鮮出兵の時、妹の淀姫が後をしたって武雄温泉に来られ、丸山の風景をながめ、長旅の疲れを慰められたとあります。
更に皇后が旅立った後、淀姫は22歳の若さでここ川上の地で亡くなり、御霊を祀るため建てられたと伝えられています。
謎を秘めた姫君は、あまりの若さで他界し、思わぬところで亡くなっていました。