「月讀宮」(つきよみのみや)は内宮から1.8kmのところにある内宮の別宮です。
月讀宮は比較的街に近い場所にありながら、深い杜に囲まれて鎮座しています。
社殿に至る参道は、自然のもつエネルギーに満ちている感じがしました。
「ツクヨミノミコト」とはアマテラスの弟でスサノオの兄にあたる神として記紀神話に語られます。
「三貴子」(みはしらのうずのみこ、さんきし)、または「三貴神」とも呼ばれるこの三柱の神は、黄泉の国から帰ってきたイザナギが禊をした時に生まれた神とされ、 イザナギ自身が自らの生んだ諸神の中で最も貴い位にあると云います。
ツクヨミは「夜之食国」(よるのおすくに)を治めるので「月」に例えられ、月齢は暦を導くことから「農耕の神」とされ、海の満ち引きに影響するので「漁業の神」ともされています。
しかしながら、古事記にも日本書紀にも、ツクヨミの話はほとんど語られないため、ミステリアスな神として今日も人気があるようです。
月讀宮の社殿は、同じような造りの社が4つ並んでいます。
社殿は東から
「月讀荒御魂宮」(つきよみあらみたまのみや)
「月讀宮」(つきよみのみや)
「伊佐奈岐宮」(いざなぎのみや)
「伊佐奈弥宮」(いざなみのみや)
となっています。
参拝順はすこし変則的ですが、
「月讀宮」
「月讀荒御魂宮」
「伊佐奈岐宮」
「伊佐奈弥宮」
と順に参拝するのが決まりとなっています。
ところで月讀宮の社殿は、もとは一つの玉垣の中に四社が祀られていたそうです。
幾度かの変遷があり、現在のように各社が独立の社殿になったのは明治6年からだとか。
またここに三貴子の両親である「伊佐奈岐」「伊佐奈弥」が祀られるに至ったのも、とある経緯があるそうです。
もともと「伊勢神宮」には主神「天照大神」が祀られているのに、その父母神については全く祀っていませんでした。
このことに怒った父母神は、772年(宝亀3年)の8月6日に祟りをおこし、強烈な風雨で樹木や住居を根こそぎ破壊しまくります。
そこで祟りを畏れた朝廷はここに父母神を祀ったというお話です。
富家に伝わる古代出雲の歴史には、アマテラスの名は記紀によって後から付けられたもので、本来は出雲族が祀る太陽の女神だったと記されています。
ツクヨミは宇佐家が祭祀する神で、豊姫によって伊勢国に持ち込まれました。
そしてスサノオは海部家・物部家の大祖神であり、「ホアカリ」「ニギハヤヒ」とも呼ばれた秦国からの渡来人「徐福」のことであるそうです。
つまり大和姫によって、伊勢で太陽の女神が祀られるようになった時はまだ、アマテラスという神格は存在せず、イザナギ・イザナミが三貴子の両親であるという設定もまた、後の記紀制作の過程において生まれたものです。
よって当社も古来、地元の農耕神が祀られていた場所に、記紀神話に合わせて由緒を書き換え創設されたものであろうと推察します。