神話の里「高千穂峡」、そこは観光バスが行き交い、毎日多くの人で賑わいます。
名所スポットに立てられた案内板には、お茶目でちょっぴり猥雑な神話の由来が書かれています。
しかしその溪谷を渡り踏み入れた先はまったく別の気配が残されていました。
それは陽気な神話の裏に、歴史の深淵が隠されているように思われたものでした。
高千穂峡を渡り、対岸の山奥へと車を進めます。
ハンドルを切りそこなうと、あわや谷底と言わんばかりの酷道をひた走ります。
そしてたどり着いたところには、鬱蒼とした杉の杜に囲まれた参道がありました。
「向山神社」(むこうやまじんじゃ)と呼ばれるその神社は、創建は不詳で、古文書によると「紀州熊野から勧請」されたとあります。
ひっそりと立つ鳥居の下には、
少し変わった石像があります。
その先に続く参道は本殿まで約500m続いているそうで、入口には仁王像が鎮座し、後には20基の石灯籠が参道の両端に立っています。
足元には鞍馬山かと思わんばかりに、木の根道が広がって、来る者の足を絡めとります。
下界の空気と完全に切り離されたその世界は、神秘的、というより厳かで畏れ多い雰囲気です。
参道の後半は石の階段が続き、
ずっしりと重い空気がのし掛かります。
熊野古道に似ていると言えばそうかもしれませんが、僕は別のことを想像しています。
この場所は鬼八の一族の砦だったのではないかと。
ここは山の尾根になり、普段は深い杜に隠され、ある程度木を切り倒せば、高いところから高千穂一帯を見渡せる場所にあります。
また背後には聖域の諸塚山、秋元神社が控え、さらには天岩戸までをほぼ一直線に結ぶことができます。
向山神社近くの「向山椎屋谷竹の迫」にある小さな集落には、鬼八が膝を付いて、ここから三毛入野命へ弓を射たと云われている「鬼八の膝付き石」があり、
向山神社の尾根から下ったところにある高千穂峡には「鬼八の力石」という磐座もあります。
そんなことをぼんやり考えながら、石段を登っていると、ふと急に体が軽くなりました。
出口です。
拝殿です。
ここに来ると、これまで重かった空気が嘘のように軽く感じます。
御祭神は「伊弉諾命」(イザナギノミコト)・「伊弉冊命」(イザナミニミコト)のほか、10柱の錚々たる名の神が祀られています。
拝殿前まで続く石灯籠のいくつかには、神像が乗せられていて、
猿や七福神の物もあれば、
閻魔のような物まであります。
不思議な造形の大石も鎮座しています。
この人もほとんど訪れないような僻地の聖地は、何を隠し、沈黙を続けているのか、
ただただ静かに、社はそこに佇んでいました。