一関 達谷窟:八雲ニ散ル花 愛瀰詩ノ王篇 番外

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平泉から一関へと向かう先に、「達谷窟」(たっこくのいわや)があります。
「毘沙門堂達谷窟縁起」によると、この「達谷窟」はその昔、鬼と称されていた蝦夷の王、「悪路王」(あくろおう)の住処だったと云います。
数々の鬼退治で名を馳せた伝説の英雄「坂上田村麻呂」(さかのうえのたむらまろ)は京の清水寺で必勝祈願をし、見事悪路王を討ち取ることに成功しました。
そこで感謝を込め、田村将軍はここに清水寺に似せた堂を建て、108体の毘沙門天を祀り、「窟毘沙門堂」と名付けました。
当時の毘沙門天は数々の戦禍ですべて焼失しており、現在は様々な時代の毘沙門天が30体ほど立ち並ぶ中に、伊達正宗から寄進された厨子に、秘仏の「吉祥天」と「善膩子童子」(ぜんにしどうじ)を納めています。

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達谷窟へ向かう道の途上、「鬘岩」(かつらいわ)という目立つ巨岩を見かけました。

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悪路王は捉えた姫が逃げ出した時、この先の「姫待瀧」で待ち伏せし、捕まえては再び逃げ出さぬよう黒髪を切り取ったといいます。
その姫君の黒髪を見せしめに晒したのが「鬘岩」。
達谷窟に来る道すがらに見かけた大岩です。

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「達谷窟」は、別当「達谷西光寺」(たっこくせいこうじ)にあります。
お寺なのに鳥居が連なっています。

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「石」(いし)の鳥居、

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「丹」(に)の鳥居、

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「杉」(さん)の鳥居と順に抜けていきます。
そこにはまるで岩に喰われているような風貌の「毘沙門堂」がありました。

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坂上田村麻呂(田村麿)は、桓武天皇に重用された平安時代の忠臣であり、桓武朝に二度にわたって征夷大将軍を勤めています。
蝦夷征討に功績を残し、死後は平安京の東を向いて立ったまま柩に納めて埋葬され、軍神として信仰の対象となった人物です。

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対し、「悪路王」とは、当時この地の軍事指導者だった東北の英雄「アテルイ」だとする説があります。
当時の日本は、信濃から東北にかけて勢力を誇っていた「大彦」の子孫の国を、「蝦夷」(エミシ・エゾ)と呼んで異民族の国のように見せかけていました。
中国の史書では、漢民族を「中華」と称し、異民族を「東夷」や「南蛮」と記したのを、記紀の製作者は真似たのだそうです。
蝦夷は蔑称ではありますが、「ヱビス」とも読み替えられますので、事代主の子孫であることを事のほか誇っていた大彦をうまく言い表しているようにも思えます。

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780年、伊治呰麻呂の乱をきっかけに、大和と蝦夷の争いは、30年戦争へ突入していきました。
延暦8年(789年)、桓武天皇は「紀古佐美」(きのこさみ)を大将軍として軍隊を派遣します。
これに立ちはだかったのが蝦夷軍の総大将である「阿弖流為」(アテルイ)でした。
約10,000人の紀古佐美軍に対し、アテルイは約1,500人の軍でこれを撃退します。
紀古佐美は10,000の軍を先発隊6,000、後軍4,000に分けて進軍するのですが、アテルイはこの4,000の軍に対し、先発隊の眼前で北上川を挟んで3方から包囲し、攻撃をしかけました。
慌て撤退する紀古佐美軍の兵は、多くが北上川で溺死する惨状でした。
これを見た先発隊も併せて敗走したと云います。

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この大和の大敗北に桓武天皇が次に白羽の矢を立てたのが坂上田村麻呂でした。
田村麻呂は、巣伏の乱から3年後の792年から副大将として蝦夷制圧へ向かい、797年、征夷大将軍に任じられました。
アテルイの強大さを知る田村麻呂は一計を案じ、蝦夷に農業技術や仏教を伝えました。
すると、持ち前のカリスマ性もあって、次々と蝦夷と呼ばれる東北人を懐柔していったのです。
801年、田村麻呂はアテルイの本拠地、胆沢遂に胆沢城の築城しました。
これら田村麻呂の策略は、精神的にアテルイを追い込んで行くことになりました。

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アテルイは交戦を試みますが、802年、ついに500人の兵の連れて、坂上田村麻呂に降伏しました。
降伏したアテルイは平安京に連行され貴族達に処刑を宣告されます。
しかし、坂上田村麻呂はアテルイを、蝦夷たちに信頼される優秀な王であると、助命を嘆願しました。
田村麻呂は、アテルイの才と人望を認め、信頼し、アテルイが東北をまとめていけば、多くの蝦夷が遺恨を残さず、納得して政府に従ってくれると考えてたのです。

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しかし坂上田村麻呂の嘆願虚しく、8月13日、アテルイは河内国にて処刑されました。
以後も朝廷と蝦夷の交戦は続きますが、朝廷は次第に財政難に陥り、東北平定は放置されていくことになります。

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創建以来5代目となる毘沙門堂の床下は、『祖先の霊魂があの世から帰りて集う』聖なる場所とされ、禁足地になっているそうです。
アテルイの霊魂も、ここに鎮まっているのかもしれません。

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毘沙門堂の奥の崖をよく見ると、磨崖仏があります。

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これは義経の先祖、「源義家」がこの地の争いで命を亡くした敵味方の霊を供養するために、矢を放って彫ったと伝わります。
北限の磨崖仏で、全国の五大磨崖仏のひとつに数えられていますが、明治29年に胸から下は崩落して無くなってしまったので、現在は「岩面大仏」と呼ばれています。

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毘沙門堂の向かいには「蝦蟆ヶ池辨天堂」(がまがいけべんてんどう)があります。
この蝦蟆ヶ池は神の池とされていて、古来からこの池に棲むもの、特に「蛇」は辨天様のお使いであるとして殺生が禁じられてきました。

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その昔、達谷川や北上川に美しい浮島が行き来していたそうです。
しかしこれは五色の蝦蟆の姿をした、「貪欲神」(貧乏神)が化けていたものであると、この地を巡礼していた慈覚大師が見破ります。
大師は島を捕えこの毘沙門堂の前に持ってきて逃げないようにお堂を建て、蝦蟆を降伏する「宇賀神王」(白蛇)を頭に頂いた、八臂辨財天を自ら刻んで祀ったと云います。

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境内の裏手を散策します。

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そこにはひと際侘びた風情の「姫待不動堂」があります。

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かつて「姫待瀧」の傍に建っていたという「姫待不動堂」、後年に達谷窟の境内に移されました。
中には恐ろしげに睨みつける、不動尊が祀られています。

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姫待不動堂の奥に「金堂」があります。

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金堂は古くは講堂と呼ばれ、達谷西光寺の根本道場になります。
とても美しい堂です。

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アテルイの死後も蝦夷と呼ばれる人たちは滅亡したわけではなく、反骨精神を磨き上げ、日本の歴史に大きな影響を与えていくことになります。
彼らは後に東北武士として台頭していくのです。

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枚方市の牧野公園にはアテルイの首塚と呼ばれる塚があり、1995年(平成7年)頃から毎年、岩手県県人会などの主催で慰霊祭が行われいるそうです。
2005年(平成17年)、岩手県奥州市水沢羽田町の羽黒山に、アテルイの忌日に当たる9月17日に石碑が建てられました。
この石碑には、アテルイに故郷の土の中で安らかに眠ってもらうことを願い、牧野公園内で採取された首塚の土が埋葬されているということです。

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