
奈良県葛城市の大屋地区に、何かないかなと思って探してみたら、「日暮神社」(ひぐらし?ひぐれ?じんじゃ)というのがあったので、行ってみました。

う~ん、これかな。

田園にポツンと杜の面影を残す、小さな聖域。
「意宇の杜」を彷彿とさせます。

祭神も由緒も不明。
でも、たまにはこんな場所も良いものです。



大屋の地に、ほかに何かないかGoogleマップを見ていたら、少し離れた葛城市葛木に「葛木御縣神社」というのがありました。

『延喜式神名帳』に記載される式内大社に比定されており、大和国に鎮座する6か所の御縣神社(大和国六御縣神社)の1社とされます。

祭神は「劔根命」(つるぎねのみこと)と、「天津日高日子番能瓊瓊杵命」(あまつひこひこほのににぎのみこと)だとのこと。
本来は瓊瓊杵命が主祭神でしたが、明治期に「劔根命」が祀られるようになりました。

劔根命は、初代天皇の東征に貢献した功で「葛城国造」になった人物です。

後で調べてみると、葛城市大屋に式内大社の「金村神社」(かなむらじんじゃ)や、葛城市寺口に式内大社・葛木倭文座天羽雷命神社(かつらきしとりにいますあめのはいかづちのみことじんじゃ)の論社である「博西神社」(はかにしじんじゃ)もあったようです。
知らんかったな、どんまい。

葛城山系の高鴨神社はアジスキタカヒコミコト、葛城御歳神社は高照姫、御歳神、大年神、鴨都羽神社は事代主など神門の臣系の神々、鴨都羽神社は三嶋溝杭の命も想定される事代主を祀っています。富家の口伝にもこの点は触れられていないし、当然ながら神門の臣系の角度からの言及もありません。何故なのでしょうか。
こんにちは。
コメントありがとうございます。
「クシヒカタは、カツラギ山の真東の、カツラギ川の左岸に住んだ。おそらく、カツラギ川を使った交通の便を意識したものと考えられる。その屋敷付近に、父君・コトシロヌシを祀る鴨都波神社を建てた」
「カツラギに移住した神門臣家の人々は、登美家と同じくカ
モ族と呼ばれた。カツラギ南部に住んだ神門巨家は、特に高
鴨家と呼ばれた。のちに多岐都彦は父君・アジスキタカ彦
と、叔母の下照姫とその婿・天稚彦の霊を祀る高鴨神社を建
てた」
「神門臣家からアマベ家のホアカリに輿入れした高照姫(天道姫)を祀る葛城御歳神社がある。その社の名は、正月祭りの神。歳神に由来する」
以上は、富士林雅樹先生の『出雲王国とヤマト政権』に記されていますが、他の大元出版の書籍にも、同様のことが記されています。
🐥日暮というのは、逢い引きの時刻が日暮であったという伝承から来ているのではないですか。そんな神社がこの場所の日暮神社以外にも存在したと思うのですが、記憶が曖昧ですな…
逢い引き神社だったのですな😲
🐣ところで、逢い引きとは程遠いですが、ヒヨコと会ってみる気はありませんか。これも何かの縁、ヒヨコにはあまり友人が居ないのです。ヒヨコは奈良に住んでいるのです…🐥お返事待ってます。
えっ、あっ、うぅ、
まあ、最近は人と会うことが増えましたが、これでも人見知りなんすよ。特に女性は。
なんかそのうち、ふんわりと、ふわぁ〜っと、なんかきっかけがあれば、お会いできる可能性が、なくもなくもなくもなくなくないかもしれない。
基本的には、一人旅が好きです😌
🐥はっきりしませんな…きっかけってなんなんや。ヒヨコは退屈しているのです。是非ご連絡ください🐣
ヒエ〜っっ!
お許しくだセェ orz
🐣ご連絡待ってます。
😱