行幸会 / 薦神社:親魏倭王ノ都 06

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九州の【U☆S☆A】ウサ!
そこは『三国志』「魏書」に記された「邪馬台国」親魏倭王の都でした!

ということで、テンションアゲアゲで宇佐神宮の情報を漁っていると、放生会とともに宇佐神宮における二大神事の一つである「行幸会」(ぎょうこうえ)なるものがあると、知りました。
行幸会とは、宇佐神宮大宮司をはじめとする神官たちが、八幡大神の霊験維持を目的に、御験(御神体)である薦枕を奉じて、八摂社など八幡神の縁故の社を巡る巡幸行事なのだそうです。
それは奈良時代から始まった神事で、当初は4年に一度行われていたが、平安時代初期の弘仁2年(811年)からは6年に一度・卯の年と酉の年に行われるようになったと云います。
しかしながら、5日間の巡幸行事を中心とする前後5ヶ月間にわたる壮大な神事で、豊前・豊後・日向3国7郷の人々が2年間にわたって準備するという大規模なものだったため、莫大な経費を要したことから、鎌倉時代以降は長期の中断を余儀なくされ、江戸時代の初期、元和元年(1615年)に細川忠興によって150年ぶりに挙行されますが、その後は再び廃れたそうです。

しかし近年、この行幸会を復活させようという動きがあり、2017年、「行幸会の道 千年ロマンウォーク」などが開催されています。
僕は奈良時代からさらに遡った、親魏倭王の時代を探っているのですが、それを踏まえ、行幸会の道を独自に歩んでみます。

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【薦神社】
「薦神社」(こもじんじゃ)は、大分県中津市にある神社。
行幸会スタートの地になります。

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石垣が印象的な参道を歩きます。

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狛犬はあたらしいものですが、

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その表情はとてもひょうげています。

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とても古びた橋がありました。

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宇佐神宮でもその姿を見ることのできる「呉橋」です。
もともと、薦神社には天皇の使いである勅使が来ていたそうで、その名残として残っていました。

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薦神社は宇佐神宮より歴史が古く、祖宮とも云われているそうです。

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とても立派な、クスノキの御神木です。

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根元の膨らみ、

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天を覆う枝ぶり、ともに素晴らしいです。

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御神木の先には、美しい神門が見えています。

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神門に行く手前に境内社に進む道がありました。

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そこは鬱蒼として、まるで別空間でした。

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数々の石祠が鎮座しています。

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さて、この美しい神門は、中津藩主小笠原氏・奥平氏が修復・保存に尽力し、現在では国の重要文化財に指定されています。
そして神門は宇佐神宮を向いているとのこと。

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薦神社の別名は「大貞八幡宮」(おおさだはちまんぐう)、地名を取り「中津薦神社」とも呼ばれます。

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御祭神は、「応神天皇」(八幡大神)、「比咩大神」(宗像三女神)、「息長帯比売命」(神功皇后)と、宇佐神宮とほぼ同じです。

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本殿も3棟からなり、

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中央の大きな本殿には、はやり比咩大神が祀られているようです。

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薦神社は実は、この隣にある「三角池」(みすみいけ)を内宮とし、これら神殿を外宮としています。

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本殿の左手に三角池に通じる道があり、

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そこには八幡神の足跡なるものが存在します。

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なるほど、確かに足跡のようなものが。

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しかしこれでは、八幡神は三本指の足だったということになります。

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本殿がちらりと垣間見れますが、宇佐神宮のものと似た形をしています。

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古くは「御澄池」と記すこともあったを内宮。

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養老3年(720年)、大隅・日向の隼人の反乱で大伴旅人が率いる大和朝廷軍と、宇佐神宮の辛島波豆米率いる宇佐神軍が、当社に至りました。

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そこで、池そのものが御神体である三角池に自生する真薦を刈りとり、枕形の御神体「薦枕」を作りました。

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その御神体を乗せた神輿を奉じて日向まで行幸し、乱を鎮めたと云われています。
以降の宇佐行幸会の際、神輿に納める霊代の枕は、必ず当社の三角池の真薦で作るのが習わしとなったそうです。

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薦枕は最終的には奈多宮に行き、そこから海に流されたと云うことです。

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【大根川神社】
「大根川神社」(おおねがわじんじゃ)は、大分県宇佐市にある神社です。

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10号線の道沿いにぽつんとありました。

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大根川神社は宇佐神宮行幸会八社の一つとされます。

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御祭神は「誉田別命」、応神天皇とされる人物。

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由緒によると、八幡大神が修行していた時、鷹居神社と郡瀬神社からここの川に至って、この川辺で大根を召し上がったそうです。

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そのため、大禰河と呼ばれ、大根川となりました。

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養老4年(720年)、大隅・日向の隼人征伐の際、大伴旅人がこの地で弓矢を立てて必勝を祈願したことから矢立宮とも呼ばれるようにもなります。

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かつて行幸会の頃はこの一帯に水田はなく、一行には大根料理が振る舞われたそうです。

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社殿の左手、大根川の手前に「河童の次郎衛門の碑」というものがありました。

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古い時代には川の氾濫に苦しめられたそうで、毎年4月中旬に行われる大根川神社例祭「かっぱ祭り」の時に、河童を封じ込める「河童踊り」が奉納されるとのことです。

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また当社に祈念すれば、失くしたものが出てくると云われています。

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【乙咩神社】
「乙咩神社」(おとめじんじゃ)は、大分県宇佐市にある神社です。

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赤い煉瓦塀が印象的な当社は、宇佐神宮行幸会八社の一つで、宇佐神宮の境外摂社となります。

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境内入口の南側に御霊水の井戸があります。

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これは「乙咩水」とも呼ばれ、八幡神が泉神社から遷った際、辛島勝乙目が泉を掘り、八幡神の洗浴に関する奉仕をしたと言い伝えられます。

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また、往古はこの辺りまで海だったともされています。

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社名や地名は辛島勝乙目からきたものだそうです。

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当社は5世紀ごろの「方形周溝墓」の上に、宮柱を鎮め、神籬を設けて、「仲哀天皇」「神功皇后」「応神天皇」の3柱を奉祀したと伝わります。

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その後、「比売大神」「仁徳天皇」「日本武尊」「天児屋根命」「別雷命」の御神霊が合祀されました。

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方形周溝墓は当地に勢力のあった豪族のものだとされていて、石棺も掘り出されているそうです。
その祖先崇拝が、後世の八幡信仰に結び付いたとみられています。

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本殿に回って見ることができました。

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古い狛犬が置いてあります。

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どれも愛嬌のある表情。

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辛嶋氏伝承では、八幡神は第29代欽明天皇の御代に初めて顕現し、その後各地を巡行したと記されています。

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当社の後、泉神社、郡瀬神社、鷹居神社、小山田神社と巡り、現在の宇佐神宮へと移ったとされます。

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境内にはたくさんの石の祠が鎮座しています。

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これだけの聖地として大切にされてきたということは、ここは豊王家の末裔の墓だったのかもしれません。

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【泉神社】
「泉神社」(いずみじんじゃ)は、大分県宇佐市にある神社です。

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宇佐神宮行幸会八社の一つで、宇佐神宮の境外社。
「酒井泉神社」とも呼ばれています。

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天平神護元年(765年)閏10月8日の八幡大神の神託によると、豐前國宇佐郡の菱形山(御許山他の総称の北西に大きな泉があり、八幡大神が御修行の時、その場所で口・手・足を洗ったと云うことです。

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その時、豐前國の神の「神奈志津比咩」(カムナシツヒメ)が酒を八幡大神に奉仕されたので、今、その場所を「酒井」(さかゐ)といいます。

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伝承によると、神奈志津比咩が酒を八幡大神に奉仕された時、指で地面を窪め、残り酒を傾けた所、水が湧き出し泉になったそうです。

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それが、酒井泉社の境内にある「酒井泉」(さかゐのいづみ)です。

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それ以来、昭和の終わり頃まで約1200年間水が湧き出し続け、名水として、また水田の灌漑水として永く広く利用されてきました。
しかし平成の初め頃(1990年)市の下水道工事で泉の水脈が切断され、湧出量が減少してしまい、現在のようになったといいます。

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大化4年(649年)この場所に社殿を建立し、辛島勝乙咩により宇佐大神が勧請されました。
この「宇佐大神」は、宇佐地方で古くから信仰されている「比賣大神」か「神奈志津比咩命」か、不明だということですが、後に「應神天皇」「仲哀天皇」「神功皇后」「仁徳天皇」が勧請されました。

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酒井泉の横には「天之御中主神」(アメノミナカヌシノカミ)、「高御産巣日神」(タカミムスヒノカミ)、「神御産巣日神」(カミムスヒノカミ)を祀る
「北辰殿」がありました。
北辰殿とは北極星を祀る神と云うことですが、道教を信奉した物部族とのつながりを感じます。

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【郡瀬神社】
「鷹居瀬社」は、駅館川の北東岸に鎮座する「鷹居社」(鷹居神社)と南西岸に鎮座する「郡瀬社」(郡瀬神社 / ごうせじんじゃ)の両社のことで、共に宇佐神宮行幸会八社の一つです。

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奈良時代、第43代元明天皇の和銅3年(710年)に鷹居山(現在の東上田)において、八幡大神が大神比義に。
「我、神となり大空を翔るものの、住処がない。そのため心が定まらない」
と託宣しました。
そこで比義は朝廷に奏し、勅定を得て、神殿を建てて奉斎しました。
これが鷹居社、郡瀬社であると云います。
八幡大神は鷹の姿で瀬を渡り、東岸の「鷹居」の松にいて、空を飛んで西岸の「郡瀨」の地面におりたので、この2つの御神域をあわせて「鷹居瀬社」(たかゐせやしろ)と言いました。

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その後の霊亀2年(716年)、鷹居瀬社に鎮座していた八幡大神は、
「この場所は路頭にあって、往還の人はあるが、敬う人はいない。此れを咎めるにはとても慰めしいことである。小山田の林に移り住みたいと願う。」
という神託され、同年、大神朝臣諸男、辛嶋勝波豆米によって小山田の地に神殿が造営され、八幡大神を「鷹居瀬社」から「小山田社」(小山田神社)に遷宮したと云います。

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その後、小山田社に10年間鎮座されていた八幡大神は、
「私が今いる小山田社の土地は狭い。菱形山に移りたいと願う。」
という神託をされ、小山田の地から菱形山の小倉山(亀山)に遷宮されました。
これが現在の「宇佐神宮」だそうです。

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現在、八幡大神が最初に降り立った「鷹居社」は宇佐神宮により管理されていますが、「郡瀬社」のほうは地域の氏子の皆様により大切に守られていると云うことです。

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