新潟国上山(くにがみやま)の中腹に位置する越後最古の古刹「国上寺」(こくじょうじ)を訪ねてきました。
目的はそう、今話題のアレを見るためです。
国上寺は、元明天皇和銅2年(709年)に、越後一の宮「彌彦大神」の託宣により建立され、北海鎮護仏法最初の霊場として信仰を集めてきたと云います。
国上山は、かつては「古志郡越の山」と呼ばれ、かの聖徳太子がこの山に登って『雲上記』を書かれたとも伝わっています。
開山当初は修験道だった当山は、時の権力者の庇護により改宗され、紆余曲折を経て、現在では真言宗豊山派に属しています。
1300年の歴史を持つ国上寺は、歴史の著名人の伝説も多く残されています。
最澄の弟子「慈覚大師」は院宣祭り(いんぜんまつり)という奇祭を伝えたと云い、「源義経」は兄・頼朝に追われた際、国上寺本堂に隠れていたことがあると伝えられています。
その際、奉納された大黒天木像は義経公ご自作と伝わり、大黒天が背負っている福袋の背後には「治承 庚子年 正月朔日 源義経 華押」と刻まれているのだとか。
当山が最も由緒深く伝えるのは、戦国時代の「上杉謙信」が祈願所としたことで、格別の配慮を賜り、当時は隆盛を極めたと云うことです。
また、織田信長による焼き討ちで荒廃した当山を中興したのは「万元和尚」であり、流浪の僧「良寛」が最後に隠棲したのは当山の「五合庵」であったそうです。
国上寺が近年、注目されたきっかけとなったのが当寺による「炎上供養専用サイト」の創設でした。
ネットで供養、ネットで参拝などの試みは他の寺院でも始められていましたが、SNSなどによる「ネット炎上」そのものを供養するという目的は斬新で、テレビ等でも取り上げられました。
かなりド派手なサイトで、正直ふざけた感もありますが、現代型の災難である「炎上」を供養することで無病息災を願うべく、寄せられた投稿を国上寺の住職が全力で供養し、「柴燈大護摩火渡り大祭」にて全ての炎上ごとを撫木に書き込み、焚き上げ供養するという本格的なもののようです。
そして今春から国上寺が始めた新たな試み、それがこの本堂で繰り広げられています。
その名も「イケメン官能絵巻」。
当山ゆかりの偉人5人が、もし一同に介したら…という独特の世界観で表現する世界的アーティストと国上寺のコラボレーション。
登場人物はこの5人、「上杉謙信」「源義経」「武蔵坊弁慶」「良寛禅師」「酒呑童子」となっています。
イケメン偉人官能絵巻と称する扉絵は、東西と北面でそれぞれテーマが設けられ、ストーリー性を持たせてあります。
これらの扉絵を仕上げたのは、「イケメン仏」などの絵で人気のアーティスト「木村了子」氏。
日本画の造詣ある方のようです。
しかしこの「西」の絵はまだ良いのですが、
東側の絵になると、ちょっと、
そこはかとなく、
ボーイズ・ラブな空気が漂っているように感じるのは気のせいでしょうか。
いやいや、木村了子氏の他の作風を見てみると、そういうことのようです。
義経などは「半ケツ」です。
「半ケツ」です。
そして一番センセーショナルなテーマは、本堂正面の反対側、表からは見えにくい裏側に設置されていました。
一応の配慮をしたということでしょう。
国上寺ご住職のコメントによると、「過激な部分もあるかもしれませんし、反対の声も上がるかもしれません」としながらも、深刻な寺離れの現代の問題に対し、「停滞するこの現状を打破するために、これくらい振り切ってみるとどうなるかを知ることも学びとなるかと思います」と述べられています。
実際、現在全国に約7万7000ある寺院のうち、25年以内に約4割、2万7000ヶ所が閉鎖されると予想されているそうです。
その主な原因としては、門徒や檀家の高齢化とともに「若者を中心としたお寺離れ」が挙げられており、若い女性を中心とした人たちに、寺に足を運んでもらう対策が必要なのだといいます。
そうした中で、「越後最古の名刹と言って頂いている寺院だからこそ、先頭に立って新しいことに取り組まないといけない」という思いから、このような試みがなされているのだそうです。
この国上寺本堂は燕市の文化財に指定されていますが、その文化財に対しこのような試みを行うということは、当然多くの賛否両論が起こっています。
「本来のあるべき道から外れている」、「子供に見せられない」「偉人への冒涜だ」といった声が、当然のように上がっています。
しかしまた、当扉絵の芸術的評価も高く、一般人から芸術関係者まで、多くのエールも送られているそうです。
一番の問題点は、このような文化財の現状を変更する場合は、市の条例で事前に申請をしなければならない事を当寺が失念していたことです。
このことについて行政指導を受けたご住職はすぐに申請書を提出したそうですが、イケメン偉人官能絵巻の是非はこれから審議がなされるということです。
実際に見てきた僕個人の感想は、思ったよりも違和感を感じなかったと言うことです。
確かに描かれている内容は、ちょっと行き過ぎの感は否めませんが、山奥の、忘れ去られつつある寺院が今一度参拝客を増やすために行った試みとしては、「面白い」と正直思います。
それに文化財の本堂そのものを傷つけたり、損壊させたわけではなく、よく考えついたものだと感心します。
そもそも幕府や領主の厳しい統制下にあった江戸時代では、神社の例祭や寺の法会・講など宗教的な行事は村人が集会し飲食することが許されていた娯楽の場でした。
当時、広い敷地をもつ寺社境内には、そうした時期には芝居小屋などが立ち並び、寺社と娯楽は一体化していました。
この時ばかりは村民こぞって厳しい労務から解放され、慣習化された行事とともに、季節の料理と酒食を楽しむ、そんなひとときだったのです。
祭り事では子どもまでが給仕にかりだされ、多くの人々と親しく接し、世の中を意識する絶好の機会となりました
伊勢参宮をはじめとする巡礼の旅などは、一生の思い出となる最大の娯楽でした。
こうした中で昔の人たちは人情や風俗に接し、他方の農業の技術などを見聞し、地元の産業振興に役立て、広く世間の事情をる機会としてきたのです。
そう思えば、今回の国上寺の試みにそう目くじら立てる必要も感じず、単に娯楽の一環として楽しむのも良いのではないかと思われました。
実際に日本画の技巧が用いられた当扉絵は、登場人物の表現はまあアレですが、背景などは美しく、春画も日本の文化であるとするならばこれもアリかもしれないと思った次第です。
当地に赴くのは大変な道のりでもありますが、行けばタダで観れるアートを、楽しませていただければ良いのではないでしょうか。
ちなみに国上寺の御本尊は上品上生の阿弥陀如来であり、縁起等によれば、行基菩薩の御作婆羅門僧正の御開眼にして、聖武天皇の御后光明皇后により賜った霊仏であると伝えられています。
ご開帳は12年に1度の子年に行われるそうで、来春がその年にあたります。
御朱印をいただくため、本堂から少し離れた「方丈講堂」に向かいます。
カメラを手にした人たちで賑わう本堂とは打って変わり、寺院本来の静謐さ漂う講堂です。
御朱印をお願いしている間に参拝させていただきます。
戦さの天才「謙信」もここで必勝祈願をしたのでしょうか。
ご住職は今回の件について、
「賛否両論はあると思いますが、若い人たちが仏教から離れて行っていますので、普通の壁画では目につかないと考えて設置しました。お寺と関わりが深い偉人たちを敬う中で描いたもので、貶めるようなことは考えていないです。幸い、訪れた方々には高評価をいただいており、ありがたいことだと思っています」
と述べておられるそうです。
実際に僕もご住職と少しお話をさせていただきましたが、実直で物腰柔らかい話し方をされる方でした。
絵巻の設置後は、女性を中心に、これまでの3倍の参拝客が見えてあるということです。
帰り道、「やすらぎ観音」という像がありました。
確かに、その御顔を眺めていると、不思議と心が安らぐ気がしました。
この地へは私も行きました!笑
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