
久しぶりに羽田空港に降り立つと、遠くに見えたあの機体!

近寄ってみると、おーこれがあの”ちいかわジェット”ですか。

これをみるために、就航初日はかなりの人出があったのだそうで。

近くに”ポケモンジェット”もいました。ポケモン!ジェットだぜ♪



茨城県石岡市総社にある「常陸國總社宮」(ひたちのくにそうしゃぐう)にやってきました。

社名の通り常陸国総社で、石岡の産土神となる神社です。

かつて古代の国司は、国ごとに国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していました。
これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した「総社」を設け、まとめて祭祀を行うようになりました。
今で言う、都道府県庁みたいなものでしょうか。

社伝によれば、奈良時代の天平年間(729年 – 749年)の創建とされますが、『石岡市史 下巻』では、総社の制度が確立したのが平安時代末期であるとのことです。

当社ははじめ、「国府の宮」と称されていましたが、延喜年間(901年 – 923年)に天神地祇(てんしんちぎ)の6柱の神が祀られるようになって「六所の宮」となり、さらに「総社」(そうじゃ)に名を改められました。
天慶年間(938年 – 947年)に大掾氏(平詮国)が、常陸府中(石岡)に築城した際に鎮守のために、常陸国分尼寺跡付近にあった当社を現社地に遷したといわれています。

現在の祭神は「伊弉諾尊」(いざなぎのみこと)、「大國主尊」(おおくにぬしのみこと)、「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)、「瓊々杵尊」(ににぎのみこと)、「大宮比賣尊」(おおみやひめのみこと)、「布留大神」(ふるのおおみかみ)の6柱。

寛政3年(1791年)の『総社神宮祭礼評議』では、祭神は「大己貴命」(おほなむちのみこと)であり、「七体の木像にて、内六体は怪敷(あやしき)形」であるとしているそうです。



現在の石岡市が府中松平藩と呼ばれていた江戸時代末期に、藩主・松平播磨守に仕えた手塚良庵という藩医がいました。
手塚良庵は、大阪で緒方洪庵が開いていた適塾の門下生として福沢諭吉と机を並べて蘭学の勉強に励み、父・良仙や伊東玄朴らと江戸に種痘所を開設した、と伝えられます。

この良仙・良庵父子が、世界的な漫画家「手塚治虫」の先祖であることが判明。
手塚治虫の大河マンガ『陽だまりの樹』のモデルは、この手塚良庵だということです。

そのようなことから、常陸國總社宮では数々の手塚治虫コラボ授与品があるのですが、令和5年(2023年)に『ブラック・ジャック』が連載50周年を迎えるということで、特別御朱印が頒布されました。

因幡の素兎に扮してウソ泣きをしているピノコを、常陸國總社宮の祭神の一柱である大国主と凄腕の闇医者ブラック・ジャックが、やさしく慰めているような、そんなほんわかとした一幕。

これが欲しくて茨城旅を計画したものの都合がつかず、ネットで検索すると神社から郵送していただけるとのことでした。

それで必ず参拝することを誓いつつ、郵送していただいたのです。

あれからようやく、お約束が叶いました。



常陸國總社宮の近く、石岡市国府の民家の隙間に気になる神社を見つけたので、合わせて参拝いたしました。

こちらは「日天宮」。
常陸国衙が置かれた石岡には,それらを祀る社殿として,日天宮(にってんぐう)・月天宮(げってんぐう)・星の宮(ほしのみや)が建立されたとのことです。

この三社は後に「府中三光の宮」(三光宮)と呼ばれるようになったそうですが、日天宮・月天宮は今も残るものの、星の宮は地名に名を残して失われてしまったようです。

拝殿に向かって左の社は稲荷大明神、

右は御岳神社が鎮座しています。

御岳神社の前にあるのも、稲荷社でしょうか。

拝殿の後ろにある社は本殿かと思いきや、「奥の宮」だそうで、拝殿の建物の中に本殿があるようです。

祭神は「天照大神」となっています。



石岡市貝地にある「月天宮」にも参拝しました。

境内には子安観音堂・弘法大師堂・石尊さまの碑・月天宮の謂れが書いてある一戸大将題額の碑などがあるとのこと。

大師堂には,念仏講中の老人たちが,家々を回って数珠を繰り,念仏往生を祈願したという「百万遍数珠」が保存されているそうですが、どれのことか分からず。

月天宮の祭神は「月読尊」で、この社殿の中に、日天宮同様に奥の宮が置かれているとのことです。
なるほど、それでは「星の宮」には、どなたが祀られているのか?カカセオか?
それとどうでも良いことですが、なぜ星天宮ではなく星の宮なのか。
そんなことを思いました。





石岡はストリートビューやカシミール3D、ステラナビゲーター等で走り回った土地です。
なぜなら『儺の國の星』にこんな記述があるからです。
「筆者真鍋大覚氏のご先祖は遠く常陸石岡の出で」
_人人人人人人人人_
> 常陸石岡の出 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
あっ、すみません。ついテンションが上がってしまいました。
『儺の國の星・拾遺』には常陸(広く言えば北関東)の見え方ではないかと思われる星もあります。
○○氏だから海人だから星を見ていたというより、もっと人々の日常生活に溶け込んでいたと言うのが私の考えなのですが、石岡の星の宮が失われたというのは気になります。
縁あって家族になった常陸の方が倉持姓なので、そちらも興味津々です。
真鍋大覚氏の先祖の地!
それは星信仰とも深い関わりがある地だとも言えますね😊
ええええっ!石岡にいらしたのですか
この地に数百年前からおられる方がお客様で、総社宮もご紹介いただきそれ以来…
国府●丁目というエリアお住まいの方で、「水」「米」「酒」がとても大切とおっしゃっています。
筑波の伏流水の恵みのある石岡から行方~鹿島への道は常陸国で一番好きなエリアです。
鹿島鉄道線の廃線前からずっと訪れておりました。
お酒といえば、僅かな御料米から…の 「 渡船」はもったいなく、たまにしか飲めません
常陸国を語るに重みある地と感じております。
はい、例によって、今回も弾丸ツアーでした😅
今回1日は、新治国造・比奈良珠命にゆかりあるお名前の方にご案内いただきました😊
石岡といえば祭というくらい、とにかく祭を大切にしている街です。水の綺麗な土地で酒造業が発展しました。対して土浦はそれほどではなく醤油業が発展したとも。
倉持様、コメントありがとうございます。
今回の茨城旅は、倉持さんの歴史を辿る旅でもあり、倉持さんのおかげで満喫できた、そんな旅でした。
なるほど、祭りと水。古代に神のための酒造は国家機密であったとおっしゃる方もおり、石岡とはそんな場所だったのかもしれませんね。
約3,000年前の中国で肉や穀物を塩で発酵させた「醤」(しょう/ひしお)が作られ、これが日本へ伝わり醤油になったとか。
茨城は深掘りすれば、ザクザクとお宝が出て来そうですね😊
こちらこそ楽しい旅と貴重なお話をありがとうございました。
石岡の星の宮が喪失してしまったのは本当に残念です。星宮神社などの星信仰は、栃木県南部と高知県そして新治国造のおさめた茨城県西地域に点在しているとのことです。(榎本出雲/近江雅和著:消された星信仰:彩流社1995)
茨城と四国の奇妙な縁、五条先生の更なるご考察を楽しみにしております。また茨城にお見えになるときにはお気軽にご用命くださいませ。
星信仰、そうなのですね。
出雲両王家を比べた時に、富家に比べて神門家のほうが海への執着が強かったように感じます。
宗像家しかり、小野・和邇家しかり。
より星を重要視したのは、富家よりも神門家だったのではないかというのが、富家伝承に星信仰が語られないことからも推察できます。
やはり東国は、西王家の気配が濃いような気がしますね。
倉持様、はじめまして。石岡の星の宮のお話は国府町内にお住まいの方からもうかがいました。
星宮神社が実は千葉県、茨城に近い香取市から一番多い匝瑳市に10社以上、
そして横芝光町にと総数20数社ございます。 千葉県の場合の各社星信仰は「いつの時代か」の
精査が難しいです。千葉神社からのものか?誕生寺はじめ日蓮宗-妙見絡みか?でも大きく変わり
古代信仰の星信仰と関わりがあればと現在調査中です。
常陸国のお話、今後ともよろしくお願いいたします。
TOMI KANEKO様
はじめまして、倉持です。
千葉県は天御中主、栃木県は磐裂/根裂、茨城県は建葉槌/天津甕星の様な分布と調査されておりました。(榎本出雲/近江雅和:消された星信仰:彩流社1995)
我が家は月信仰のみ伝承されており、星信仰に関してお力添えが難しいところです。先生のご考察を楽しみにしております。