自然崇拝には幾つかの形があります。
巨木奇木を信仰するもの、水や滝を信仰するもの、そして巨岩磐座を信仰するもの、などです。
大分の宇佐地方のあちこちに不思議で神秘的な岩石を見ることができます。
安心院の米神山もそうした謎の石が点在する霊山。
麓の佐田京石は見事なストーンサークルです。
これを見るだけでもその神秘を感じることができます。
さて宇佐には更に、すごいストーンサークルがあるというので行ってきました。
知る人ぞ知る「猪群山」(いのむれやま)です。
国東半島中程にある猪群山は登山ルートが2つあります。
北側の「臼野コース」は30分ほどで比較的簡単に登れるコース。
南側の「常盤コース」は1時間強かかる、やや難関コース。
できれば「常盤コース」にチャレンジすることをおすすめします。
「常盤コース」には「臼野コース」にはない、名所が数多くあるからです。
登り始めて少しすると石垣が広がる場所に出ます。
ここはかつて炭焼きが行われていたところ。
古い炭窯の跡が点在します。
植林が盛んに行われていたようなので、ここで炭を作っていたのでしょう。
登り続けます。
なかなかキツイ。
途中「天与水」という標識を見つけます。
水が湧いてます。
ここで喉を潤していたのでしょう。
不思議な存在感のある木々を見かけます。
大きな岩には植林の記録が刻まれていました。
この辺りから大きな岩が見え始めます。
そして他を圧倒する巨岩が。
「立石常盤遺跡」とよばれるもの。
苔むした巨岩は鬼と猪が運んだと伝えられています。
ここまで割とペース良く登って30分といったところ。
しかしここからの勾配が地獄です。
小さなハートを見つけました。
汗も吹き出します。
もう帰りたくなる頃、開けた場所に出ました。
「いっぷく望」と名付けられたこの場所は、
「ミニストーンサークル」とも呼ばれ、幾つかのやや小ぶりな石が円形に配置されています。
展望も晴天なら良いでしょう。
「立石」から20分くらいでしょうか。
この間が勾配がきつく、最も大変でした。
「いっぷく望」を後にします。
ここからはいくらか傾斜が緩やかになった気がしました。
夫婦岩のような不思議な岩があります。
登山道は道標が細かく記してあるので迷うことはありません。
巨岩の集落があり、その先に頂上が見えてきました。
山頂に到着。
北側の「臼野コース」はここで合流です。
お目当のストーンサークルは、ここをT字に曲がった先にあります。
またひと谷、10分弱ほど歩いて行くとその姿を現し始めます。
明らかに今までとは違う雰囲気。
「陰陽石」がゲートのように立ちふさがります。
この隙間を通る時、体がぶるっとしました。
案内によると中央の「神体石」を中心に東西33m南北42mの範囲に巨石が16個配置されているようです。
さらにその外側直径約70mの範囲に24個の石が配置され、その外側に2mほどの土坡をめぐらしているそうです。
中央の「神体石」。
この巨岩は磁気を帯びていて磁石が効かなくなるそうです。
この岩は「山幸彦」「海幸彦」の伝説から山幸彦が龍宮から持ち帰った「潮盈珠」(しおみちのたま)、「潮乾珠」(しおひのたま)を置いた場所とされています。
岩の天辺はくぼみがあり、満潮時には水が満ち、干潮時には水が乾くといいます。
またこのくぼみの中に金魚がいて、これを見た人は盲目になると言い伝えられます。
これに似た巨岩が、佐賀の金立山頂に徐福の伝説とともにありました。
この神域は「オミセン」と呼ばれ、昔から女人禁制になっていたそうです。
神体石の下には手水鉢のような石が。
ここはかつて祈りを捧げた祭祀の遺跡でしょう。
この広い場所に点在する岩々はいつからそこにあるのでしょうか。
饒速日・徐福の子孫は物部氏となります。
彼らは祭祀と武力に長けた一族でした。
物部の王「イニエ」は遠く東の大和に焦がれ、東征を決意します。
しかし政(まつりごと)に不可欠な巫女がいなかったため、宇佐の月読みの巫女「豊玉姫」とその王国に同盟を持ちかけます。
豊王国にやって来た物部氏、またはその子孫が、この猪群山の山頂にいくつかの巨石を発見し、配置し直し、この祭壇を造り上げたのではないでしょうか。
古代にはここで月の神、もしくは道教で祭祀された星の神を祀ったのかもしれません。
金立山、猪群山の山頂にある神の石の頂きにあるとされる水の鏡は、天体の神を映しとる神籬だったのでしょう。
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