「朝山神社」(あさやまじんじゃ)は出雲市朝山町にある神社です。
「出雲国風土記」にある宇比多伎山に比定されるとする山の上に鎮座し、「朝山森林公園」の中にあります。
ここの御祭神は、「神魂命」(カミムスヒノミコト)の娘神とされ、大己貴命(オオムナチノミコト)の妻だと云います。
美人で気が利いて性格もよく村の人から愛される心の清らかなお姫様だったと伝わります。
杉に囲まれた参道を歩きます。
祭神の御神名は「眞玉著玉之邑日女命」(マタマツクタマノムラヒメ)。
眞玉著玉之邑日女命は大己貴命の妻問いの相手であると伝わっています。
大己貴は一般に大国主のことを指しますが、本来、大己貴とは「大名持/大穴持」という王の役職名のことだと思われます。
ちなみに副王が「少名彦」です。
大国主は八代目大名持「八千戈王」のことですが、眞玉著玉之邑日女命の元に通っていたのが必ずしも大国主とは限らず、他の代の大名持だったかもしれません。
当社の鎮座する位置は、西出雲王家の領地になりますので、姫のお相手は神門臣家出身の王であったとは思われます。
朝山の郷は郡役所の東南五里五十六歩(2.8km)のところにある。
神魂命の御子で眞玉着玉之邑日女命という姫神がいらっしゃいました。
そのとき、天下をお造りになった大神、大己貴命が結婚なさって、朝ごとにお通いになりました。
それでここを朝山といいます。
古代出雲での結婚は「妻問婚」でした。
夫婦は同居するのではなく、妻は実家に暮らします。
そして夜毎に夫が通うのです。
ではなぜ「夜山」ではく「朝山」なのか。
これは通い婚という制度の中にあって、「日常は別離を余儀なくされる妻への名残惜しさが、『朝妻』=『一夜をともにした朝の妻』という特別な概念を生み、妻のもとから別れ来る通い路の山の風景が、妻への纏綿たる情を喚起する」ということだそうです。
麗しき女神と一夜を過ごしては帰ってゆく男の名残の情意が、朝妻山という名になり、朝山と呼ばれるようになったのです、たぶん。
神紋はめずらしい「百合の葉」だそうです。
境内には小さくも趣ある摂社がいくつか立ち囲んでいます。
その中でこちらの社、
「十九社」(じゅうくしゃ)とあります。
そう、出雲大社境内にもありますが、神在月にお越しになった神々の宿泊社です。
八百万の神々は、まず十月一日から十日まで、この朝山神社においでになり、ついで十一日から十七日までは出雲大社にお移りになり、それから佐太神社に向かわれ、最後の万九千社(まんくせんしゃ)において諸神事を終了して神等去出(カムサデ)の日にそれぞれ自分の神社へ向ってお立ちになると云うことです。
日本海が一望できると云うので、行ってみます。
この先すぐって言ってるし。
しかしすぐっちゃすぐですが、結構っちゃ結構なもんです。
見えてきました。
展望台らしきところに出ます。
ほう。
まあしかし、霞んでいます。
この先に日御碕灯台があり、
稲佐の浜があり、
出雲大社があるということです。
稲佐の浜に上陸した神々は、ここ朝山を真っ先に目指してくるのでしょうか。
神在月が聖なる母神への墓参りだとするのなら、ここに眠る麗しき姫君は、出雲の重要な母神であると云うことになるのかもしれません。
六世紀は、核有力豪族がこぞって霊山開発を行った時期のように思えます。
役行者→熊野修験、金剛山
物部氏→熊野修験、武甲山ほかヤマトタケル伝承
密教で言えば高野山
仏教+山岳信仰で言えば、慈覚大師(西蔵王瀧山&恐山)
さて、と言うことですが、王滝村の御嶽山。オオナムジも鎮座しますが
松江の王宮、王庭 意宇
そうすると
王滝村も宇比多伎山
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御嶽山の麓の王滝村。
松江の王→意宇
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なるほど!
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