キリシタン洞窟礼拝堂

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隠れキリシタンの遺跡が大分の竹田にありました。
「キリシタン洞窟礼拝堂」(きりしたんどうくつれいはいどう)、それは身震いするような異様な姿を成していました。

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ナビが指し示したのは大分の竹田市、小さな城下町でした。
隠れキリシタンの遺跡があるのが、長崎や天草ではなく大分というのは意外でしたが、聞けばフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸した天文18年(1549年)の2年後に、豊後国で大友宗麟と出会っていたのだといいます。

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ザビエルは当地で手厚い保護を受けながら布教活動を行ったとされており、大友宗麟ものちにキリシタン大名となっていきます。
竹田でのキリスト教布教活動は、長崎や天草よりも15年ほど早かったということで、濃厚な布教がなされていたものと思われます。

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慶長17年(1612年)に江戸幕府が『禁教令』を発し、これにより厳しいキリシタン弾圧が始まりました。
長崎・天草では特に激しく、天草四郎率いる「島原の乱」の悲しいエピソードは有名です。

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禁教令の圧力は当地でも当然あったのですが、竹田のそれは少々状況が違ったようです。

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案内に沿って歩いて行くと、目の前に現れた目的の場所は、何ともいえない妖しい気を放っていました。
いや、ちょっと怖い。。

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入り口には手水舎のような水が湧く場所がありました。
ルルドの例にあるように、キリスト教信仰では泉は、洗礼の重要な要素となるようです。

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もともとは鬱蒼と茂る竹林の中にあったという礼拝堂は昭和28年に県指定の文化財登録を受け、今は容易にアクセスすることができます。
が、容易とはいえ僕の足がやたら重たいのは、単に坂道の階段を昇っていることだけが理由ではないでしょう。

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昇りついたところには、日本国内では類例を見ないという、凝灰岩を掘って造られた礼拝堂のその姿がありました。

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5つの戸が嵌め込まれ、幅3m、奥行き3m、高さ3.5m程の広さがあるという礼拝堂の中は、覗き見ることはできますが真っ暗で何があるのかよく分かりません。
ていうか、めちゃ怖い。

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カメラの感度を上げて恐る恐る撮ってみると、何やら祭壇らしきものが写ります。

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よく見ると十字架と燭台のようなものが置かれています。

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キリスト教が伝来した当時、豊後国は大友宗麟が治めており、竹田地方はその一門衆の志賀親守が統治していました。
親守は熱心なキリシタンであったということです。
豊臣秀吉がバテレン追放令を出しキリスト禁教令を出した時も、その時の領主、志賀親次は積極的にキリシタンを匿ったそうです。
大友氏の後、中川秀成が入封すると、その家老「古田重直」が当地に屋敷を構えました。
古田重直は、かの「古田織部」の孫にあたります。

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洞窟礼拝堂の5つの扉のうち、宣教師は正面の扉から出入りしていました。
しかし信者たちは左右の小さな扉を、男女分かれて使っていたようです。
茶室のにじり口に似た小さな出入口は、古田織部の子孫ならでは発想ではないかと思われます。

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礼拝堂の横には、これもまた人工的に掘られた大きな洞窟があります。

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この洞窟には宣教師が隠れ住んでいたとされ、洗礼なども行われていたといいます。

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古田重直は大坂の陣の直後、大阪城にいたナバロやブルトリノといったイエズス会神父を竹田に匿ったとする古文書も見つかっているのだそうです。
この竹田のキリシタン洞窟礼拝堂は保護のための手を加えることが難しいようで、日々劣化しつづけているといいます。
そのうち隔離され近くで見ることができなくなる可能性も高く、やがては失われて行く遺跡なのかもしれません。

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キリシタン洞窟礼拝堂の参道入り口対面に、赤松稲荷神社があります。
この稲荷社も実は、元は礼拝堂であったとされています。
竹田市にはこのような稲荷社が40社以上もあるそうで、稲荷社と隠れキリシタンとの関連性が示唆されています。

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竹田地区に稲荷社が出来始めたのは、禁教令が発令された直後からであり、その背後には洞窟礼拝堂のような穴が見受けられます。
これはキリシタン弾圧下において礼拝堂を稲荷社でカモフラージュし、信仰・布教活動を続けていたものと考えられています。
元和3年(1617年)の外国人宣教師が書いた手紙も発見されていて、竹田地方では宣教師たちが洞窟に隠れながら布教活動を続けていたと記されていたそうです。
町全体にこのような痕跡が残る竹田地区は、城下町・藩ぐるみでキリシタンを匿い、信仰を守っていた歴史の痕跡が窺えるのでした。

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2件のコメント 追加

  1. Rumikoの日記 より:

    センスがあっていつも素敵な写真楽しみにしていますね!

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      ありがとうございます。

      いいね

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