
「高良宮の元宮と言われる高良神社が筑紫野市(童男童女岩近く)にあります。
高良神社ー高良玉垂宮と南北で繋がっています。
そうなると水沼氏との繋がりも見えてくる気がします」
と、”公正担当”さんがおっしゃってましたので、行ってみました。

鎮座地は福岡県筑紫野市吉木1610、住宅街のどん詰まりに

ありました。

知る人ぞ知る、といった雰囲気。
マニアックな神社です。

境内入口には、石碑なのか石神なのか、

そうしたものがいくつか並んでいます。

創建その他不詳。
寛文3年(1663年)に再建され、明治5年(1872年)に村社に定められました。
ちなみに明治5年は、日本初の鉄道開業や太陽暦(グレゴリオ暦)への移行など、近代化に向けた大きな変革があった年だとのこと。

階段キター

もうちょっとでゴール!

からの隙を生じぬ三段構え。

なるほど、なかなか渋い神社です。

陽気なルックスの狛犬氏。

怪しい中年おっさ、大人にも、愛想を振りまいてくれます。

当社祭神は「天児屋根命」、「皇大神」、「武内宿禰」、「建速須佐之男命」。
建速須佐之男命は同大字字池田無格社須佐神社として祭祀されていたものを、明治44年に合祀したとあります。

本殿の裏手、合島明神社(少彦名命、大己貴命)。

本殿横は山神社で、「御籠堂」(おこもりどう)とも呼ばれるようです。

祭神は木花咲耶姫命。

公正担当さんがおっしゃるには、
「建男霜凝彦(五瀬命)の本質は五角星とも呼ばれるぎょしゃ座だと思います。
ぎょしゃ座は仏教では兜率天の位置付けになります。
草部吉見神(多氏)系図は阿蘇氏から背乗り改竄されてますね。
母神の阿蘇津姫の本質はシリウスで阿蘇津姫は蒲池姫や淀姫等に名を変え九州各地に奉られる女神さまですね。
その夫神は高良神で本質はぎょしゃ座の一等星カペラです。
高良玉垂宮の玉垂は後からついたみたいです」
とのこと。
なるほど、高良神は五瀬命である、ということでしょうか。
高良玉垂宮の元宮だという当社の現祭神は、合祀したスサノオを除けば「天児屋根命」「皇大神」「武内宿禰」ですが、天児屋根が怪しい。
いやむしろ、五瀬命を置き換えるなら、スサノオの方が理にかなっているように思いますが。

B氏によれば
「落立神社の漆間は、飯稲の末裔という通説もありますが、高良大社の神秘書には、飯稲姫という記載があります」
とのこと。
「ニニギやホホデミなどは冨家伝承ではスサノオですよね。高千穂の近傍に太伯の諸塚山がありますね。この一族が高良大社の物部になりました」
とおっしゃります。
五瀬、三毛入、飯稲は第一次物部東征のメンツですが、高良大社(高良玉垂宮)に祀られるのは、五瀬ではなく飯稲姫という可能性もあります。

当社本殿の裏手に、感じの良い道がありましたので歩いてみたら、

こんなところに出ました。

ああ、風が気持ち良い。

また、境内横の怪しげな道を降りて行ったら、

由緒にも書かれてない謎の摂社がありました。

何だこれは⁈
当地から南方向に3kmほど下ったところに徐福伝説の童男丱徐女岩(どうなんかんじょいわ)と高木神社があります。
近世、天山の高木神社の祭礼を奉祀(管理)していたのは、他ならぬ吉木の高良神社神職(上野氏)であった、ということです。

高良神と高木神の地主神交代伝承は久留米の高良大社(高良玉垂宮)にも伝わっていましたが、ここでも何らかの関係があるのか。

この謎の摂社の鎮座位置はその伝承を彷彿とさせるものではありますが、社殿の向きを考えると、宝満山を遥拝するための社のような気もします。

>石碑なのか石神なのか
画像後者は大日孁貴ですね。ほかに猿田彦などもあります。
元々あったのか区画整理等でこちらに移されたのかとわかりませんが。
なぜか屋根に二つ引き紋が掲げられていて面白い神社ですよね。
二つ引き紋は元は鷹羽で英彦山と関連づけられたりしているようですね。
確かに不思議で、面白い神社です。