「寒い」
冬の始まりに、神功皇后は焚き火の前にいた。
辺りは薄暗く、まだ陽は昇らない。
鎧は脱ぎ捨て、湿った衣服を炎の熱に当てた。
「姫さま、お体はご無事でしょうか。」
近臣の者共が皇后とその胎内の子を気遣う。
「此処はどこじゃ」
「はい、小さな島ではございますが、筑紫の湊はもうその先でございます。
日が昇り次第、筑紫を目指しましょう。」
皇后の一行は油断していた。
神の加護に守られた神功皇后の大軍は、いともたやすく三韓征伐を成し遂げていた。
凱旋気分もあって対馬、壱岐と順調に航海を続けていたものの、
壱岐を出た先で、大嵐に遭遇してしまった。
「なんとか此処まで辿り着けましたのも、姫さまの御神徳によるものです。」
近臣はそう言って、皇后を励ましている。
「しかし、襲津彦や磯良たちとはぐれてしまった。
あの者たちは無事であろうか。」
これまで皇后を支え続けた重臣たちは、ほとんどが散り散りとなってしまっていた。
この小島に辿り着いた者は決して多くない。
「あの方たちにも、強い御神徳がついてございます。
きっとご無事かと。」
神功皇后はうっすらと青にじみはじめた空を見上げた。
そこには小高い山が見える。
「私はこの島に、住吉の神の御霊を残そう。
住吉の神は、侮れば祟りをもたらすが、真摯に祈れば大いに助けを差し伸べてくださる。
さすれば散り散りになった者共もきっと無事に再会できるはず。
そして私の行く先々で、この忘れ去られつつあった神を祀り、大和の祖神の一柱として栄え奉られるよう努めて参ろう。」
やがて昇り差し込む陽の光が、その小島を神々しく包み始めていた。
【能古島】
神功皇后は無事三韓征伐を成し遂げますが、その帰路、壱岐を過ぎたところで大嵐に会います。
皇軍は散り散りとなり、様々な場所に帰港します。
神功皇后はこの際、能古島に立ち寄ったとする言い伝えがあります。
能古島には「白髭神社」(しらひげじんじゃ)がありました。
境内にある二つの丸い石。
「力石」というこの石で、昔の若者は力試しを行いました。
白髭神社の御祭神は「住吉大神」(すみよしのおおかみ)です。
筑前国続風土記によると、神宮皇后が帰朝のとき、この島に住吉の神霊を残し留めて異国の降伏を祈ったので残の島(のこりのしま)と云うようになったと伝わります。
博多湾にぽっかりと浮かぶ能古島は、古来より栄えていたようで、
ここにも様々な古墳があったと云います。
本殿にある龍の彫り物が見事でした。
島内は小さな集落があって、のどかです。
港からは博多湾が一望できます。
【住吉神社】(姪浜)
能古島への渡船場がある小戸・姪浜にも「住吉神社」があります。
唐津街道の宿場町の一つとして栄えた古い町並みの中にあります。
朱塗りの立派な拝殿です。
神功皇后が三韓より帰国した際、上陸し濡れた袙(あこめ=古代の肌着と上衣の間に着る衣の総称)を干して乾かしたので「袙ヶ浜(あこめがはま)」と言ったのが、後に「姪浜(めいのはま)」になったと云います。
また2005年に宮司さんがクイズ・ミリオネアに出演しパーフェクトを達成して有名になった神社でもありました。
【熊野神社】(今津)
西区今津にある「熊野神社」です。
糸島の入り口付近の小さな港町にあります。
長い階段を上ると拝殿があります。
神功皇后が三韓から帰朝の後に紀州熊野から勧請されたとする言い伝えがあるとのことです。
この神社がある「今山」は弥生時代前半期頃に石斧(せきふ)の製作を行った所として有名な「今山遺跡」です。
拝殿の裏に、大きな磐座がありました。
祈りの小石が乗せられています。
こちら側から見ると、犬の横顔のように見えます。
【六所神社】
糸島内部に入っていくと「六所神社」があります。
大きな御神木が印象的です。
祭神は「伊弉冊命」「速玉男命」「事解男命」「底筒男命」「中筒男命」「表筒男命」です。
上記の六神を祭り六所神社というそうです。
拝殿には絵馬が多数掲げられています。
神功皇后が三韓より帰国し志摩町小金丸の幣の浜に上陸したとき、尊神を奉ったそうです。
大樟2本(熊野神木・住吉神木)は県指定天然記念物になっています。
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