北内郭の大祭殿の写真を撮りなおしたくて、佐賀の吉野ヶ里遺跡へ再訪しました。
すると「大賀ハス」が見頃です!というので、立ち寄ってみることに。
王の家がある南内郭から少し下ったところにありました。
これは見事。
美しい大輪のハスの花が咲いております。
まさに仏が坐しているかのよう。
ところで大賀ハスとはいったい何ぞや?
1947年(昭和22年)、東京の草炭採掘現場で、3隻の丸木舟と6本の櫂、それにハスの果托が掘り出されました。
これは「縄文時代の船だまり」であったと推測され、「落合遺跡」と呼ばれるようになります。
これを聞きつけた植物学者でハスの権威者「大賀一郎」氏(当時・関東学院大学非常勤講師)は、1951年(昭和26年)3月3日から地元の小・中学生や一般市民などのボランティアの協力を得て遺跡の発掘調査を行いました。
なかなかめぼしい成果のない中、打ち切り前日の夕刻に花園中学校の女子生徒が、地下約6mの泥炭層からハスの実1粒を発見。
予定を延長の末、計3粒のハスの実が発掘されました。
大賀氏はその発芽育成を、東京都府中市の自宅で試みます。
これも2粒は失敗に終わりましたが、なんとか1粒は育ち、翌年の1952年(昭和27年)にピンク色の大輪の花を咲かせたのです。
この世界最古の花は「大賀ハス」と命名され、また同時に発掘された丸木舟のカヤの木の破片から、今から2000年前の弥生時代以前のハスの花であることが推定されました。
そして大賀ハスは日本各地は元より世界各国へ根分けされたのです。
そのひとつがこの吉野ヶ里遺跡の大賀ハス。
古代遺跡に咲く二千年ハスは、その美しさも相まってロマンを掻き立てます。
ところでなぜ、仏はハスに乗っているのでしょうか。
仏教以前の古代のインドに、「ヴイシュヌ神」のへそから生じた蓮華の上に「梵天」(ぼんてん)が座して宇宙のもととなったという神話があるそうです。
そこからハスの花は「蓮華座」(れんけざ)という仏の座布団になったと云われています。
また、ハスは湖沼の泥の中から茎を伸ばし、その先に大きく美しい花を咲かせます。
その姿が苦しみに満ちた末法の世に舞い降りた仏の姿にも喩えられるようです。
この大賀ハスは、水面からつぼみが顔を出した後、開花時期が進むと花の位置がだんだんと高くなっていきます。
するとやがて人の背丈よりも高くなるのです。
さすが古代の花、スケールが違います。
日の出とともに花開き、午後にはその身を閉じてしまう儚さも魅力。
仏教も伝来していない太古の人々は、この可憐な大輪に何を想うのでしょうか。
本当に美しいハスですね(^_-)-☆
仏様がハスに乗ってるのは、そういう理由だったんですね(^^)/
吉野ケ里遺跡、一度行きたいと思いつつ、まだ行けてません…。
いつかは!!
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人の背丈を越える高さ、子供の顔くらいの大きさの花で圧巻でした。
昔は地面に穴が空いているだけでしたが、今はそれらしい建物がたくさん建っていて半日は楽しんで巡れますよ。
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それは何よりです(^^)
そうです。
なるようにしかなりません!
お互い身体に気をつけて生き抜いて参りましょう!!
たまには声を聞かせてくださいね!
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今は病気と怪我に気をつけないといけませんね。
頑張りましょう!
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キレイですねー
お元気そうで何よりです。
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ありがとうございます!
ひとまずお客様も戻ってきていただいて何よりです。
あとはなるようにしかなりませんね。
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見事な古代ハスですね。中学生が発見したのは初めて知りました。その中学生の名前もハス名の一部に付けてあげたいです(^_^)
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なるほど、そうですね!
3粒の種から一輪咲かせたのは大賀先生の功績ですが、中学生の発見がなければ今の大賀ハスはなかったのでしょうから、大したものです。
ハスなんてどこでも見れるしと思っていましたが、スルーしなくて本当に良かったと思いました(笑)
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