阿蘇・菊池一族の聖地「北宮阿蘇神社」を訪ねました。
社前の階段を降りると、菊池川が流れています。
階段脇には「菊池一族御刀洗所 万病の神水」と彫られた石碑があり、ここはその昔、菊池一族が刀を洗った場所だと云うことです。
木製の鳥居と狛犬の間にコンクリートの柱があります。
これは熊本地震で壊れた、古い鳥居の柱だそうです。
肥後もっこす面の狛犬。
菊池一族の神社といえば菊池神社を思う人も多いようですが、菊池神社の創建は新しく、明治時代に菊池一族を祀るために創建されたものとなります。
彼らの活躍した時代の氏神はこの北宮阿蘇神社なのだそうです。
菊池氏と阿蘇大宮司家の関係は深く、第17代菊池武朝公(一説では第16代武政公)が国造神社の主祭神である「阿蘇大明神」を勧請したとあります。
祭神の名は「国造速瓶玉命」(こくぞうはやみかたまのみこと)。
阿蘇大明神としながらも、なぜ健磐龍命(たけいわたつのみこと)ではないのか。
一般的に、速瓶玉は健磐龍の子で、崇神天皇の時代、阿蘇国造に任命された人だと云われています。
速瓶玉を主祭神に祀った神社が「国造神社」です。
国造神社は阿蘇神社の北にあるので、「北宮」と愛称で呼ばれています。
そしてこの北宮阿蘇神社も阿蘇神社の北の方にあるということで、この名で呼ばれます。
国造神社の創建は、阿蘇神社よりも古く、その元宮とする伝承もあり、肥後最古にて二千年以上の歴史をもつ神社だと伝えられていました。
阿蘇大宮司家を補佐する阿蘇権大宮司家、阿蘇祠官家、阿蘇北宮祝家は全て、日子八井命の裔とされる草部吉見系であり、阿蘇神社最大の祭事「火振り神事」は日子八井命の結婚を祝うものと云われているそうです。
阿蘇神社の祭神も祀る12柱の神のうち、8柱が草部吉見系の神です。
また「田作り祭」などを始めとした阿蘇神社の四季折々の農耕祭事は、草部吉見系の宮川一族の祭りであると伝わり、建磐龍命を主祭神としながらも、草部吉見族の信仰や祭祀が多いのだと云います。
つまり阿蘇神社は主祭神が大和系・建磐龍命であるのに、草部吉見神系に拘わる信仰が主体となっているのです。
このことは建磐龍と速瓶玉は親子ではなく別系統の神であり、速瓶玉一族を大和系の健磐龍族が制圧したことを物語ります。
また、国造神社の鯰宮に祀られている大鯰は阿蘇の母神「蒲池媛」(かまちひめ)であると云われています。
そして阿蘇郡誌によると、国造神社祭神の速瓶玉妃「雨宮媛」が宇土半島、郡浦の蒲池媛命であると伝えていました。
健磐龍が阿蘇谷開拓に来た時、そこにいたのは大鯰であったと伝えられます、
建磐龍は農地をつくるため、この大鯰を刀で3つに斬ったとか、穏便に退いてもらったなどと語られます。
蒲池媛は神功皇后の三韓征伐に従い、満珠干珠を操り、皇后軍を勝利に導いた古族の姫とも伝えられており、月神を信奉する豊系の一族であることが分かります。
蒲池媛は八代海・宇城の地より阿蘇に入り、阿蘇の神に嫁いだとされており、この伝承は西方より豊系の一族が阿蘇国造家に嫁入りしたことを示しているのです。
北宮阿蘇神社の境内の少し先に、「北宮水神様」という御神木がありました。
木の根元に、竹で作られた70cm四方の神饌台がもうけられており、夏と冬に川祭りが行われるそうです。
一時は健磐龍・大和族に支配された阿蘇国造家が、強かに祭祀を取り戻しているように、菊池一族も南北朝時代に憂き目に遭いつつも世を生き延びた。
その証が北宮阿蘇神社なのでしょうか。
菊池一族は阿蘇国造家・蒲池家に自らの進む道を見たのかもしれません。