越智神社:八雲ニ散ル花 龍宮ノ末裔篇 11

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宇佐公康著『宇佐家伝承 古伝が語る古代史』によると、宇佐稚屋は伊予国の越智氏と数年にわたって戦ったと伝えられ、その時に彼は、越智宿禰の娘ですでに夫も子供もあった常世織姫(とこよおりひめ)を拉致して凱旋し、そのまま結婚をして宇佐押人が生まれたのだと記してあります。

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宇佐公康氏はまた、稚屋は神武天皇と菟狭津媛の間に生まれた皇子であるとしており、稚屋の子・押人が応神天皇であると著書の中で述べています。
つまり応神天皇は神武天皇の皇孫であるというのです。

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初代神武帝の孫が15代応神帝であるとなれば欠史八代どころの話ではなく、万世一系はスカスカであるということになってしまいます。
さすがにこれは無理がある。
無理があるのですが、ここでいう神武が物部イニエ王(10代崇神帝)であるとするなら、この話も少し意味深いものとなります。

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宇佐家伝承における神武がイニエであるなら、菟狭津媛(うさつひめ)は豊玉姫ということになります。
ならば越智宿禰の娘を強奪したという宇佐稚屋とは「豊彦」のことでしょう。
年代的に宇佐押人=応神帝が豊彦の息子であった、とはなりませんが、彼の末が竹葉瀬ノ君=応神帝であったことを考えると、流れの辻褄は合うように思われます。

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nokananさんに教えてもらった竹葉瀬ノ君の考察は、彼は貫前神社から越の居多神社に移動し敦賀の氣比神宮に船で移動して、そこで秘密裏に息長足姫(神功皇后)の養子となったのではないかというものでした。

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それで貫前神社から居多神社までのルートを探っていると、なんとその途中に越智神社を2社見つけたのでした。

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前置きが長くなりましたが、そんなことで、長野県須坂市幸高にある「越智神社」(おちじんじゃ)をはるばる訪ねてみたのです。

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とても素朴な神社です。
創祀・創建年代は不詳。
式内社「越智神社」の論社のひとつで、湧水池の多いこの地に移住した越智氏が、その祖である饒速日命を奉斎したと伝わります。

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本殿の横には越智池という湧水池の跡がありました。
そこには井上・須田・高梨氏の城主が寄進したという三神石(さんしんせき)も置かれています。

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越智氏(おちうじ)は古代日本の伊予国(愛媛県)の豪族で、『国造本紀』によると、物部氏の大新河命の孫・小致命(おちのみこと)の子孫であると記してあります。

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宇佐公康氏は宇佐稚屋は越智氏と数年にわたって争い、その娘・常世織姫を拉致して后としたと言いますが、稚屋=豊彦は物部本家のイニエ王と宇佐・豊玉姫との間に生まれた皇子であり、しかもその頃の伊予国は豊王国の勢力域であったので、二者が争う理由がありません。
越智家は、自ら常世織姫を次代の王に差し出したのではないかと思われます。

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やがて豊彦が大和に東征し、さらに上毛野国に追いやられる時、常世織姫と越智家の一部の人は彼に追従したのではないでしょうか。
越智家はその後も豊彦の子孫の世話をし、竹葉瀬ノ君とともに北上、その途中で一部の人が当地に定住したのではないかと推察します。

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越智神社の境内社の一つを覗いてみると、

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実にリアルなサイノカミが祀られていました。

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当社は明治三年の松代藩書上帳には、祭神が健御名方命となっており、一時期「諏訪大明神」と呼ばれていたこともあるようです。

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確かに、出雲的な祭祀の雰囲気を感じなくもないところです。

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長野県中野市にある、もう一つの「越智神社」も訪ねてみました。

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道を挟んで向かい側には稲荷社があります。

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当社創祀・創建年代は不詳。

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当初は、越智山と呼ばれる山の山頂に鎮座していたが、参拝困難なため、麓に里社を造営したと伝えられます。

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その後、洪水もあって現在地に遷座され、山頂の奥社には石祠があるのだそうです。

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祭神は同じく、越智氏の祖神である饒速日命。
しかし相殿に、御穗須須美命(みほすすみのみこと)を祀り、後に菅原道眞が合祀されています。

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ミホススミ姫と言えばタケミナカタの妹で、出雲に残り、亡くなった父を美保関に祀ったと富家は伝えています。
美保神社では「三穂津姫命」(みほつひめ)という名で、改竄された記紀の伝承通り、大国主の妻として祀っているようですが。

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境内奥にある石祠と本殿の間に、

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二つの磐座があります。

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その一つには何やら彫られた文字が。

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これは「越文字」とも、「豊国文字」とも呼ばれる神代文字なのだそうです。

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豊国文字は日本語の五十音に対応しており、象形文字の古体象字とカタカナに似た新体象字があり、濁音を表す「濁り字」なども存在するそうです。
これは新体象字で「ミホススミノミコト」と彫られているようで。

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豊国文字は古史古伝の『上記』(うえふつみ)や『竹内文書』、『九鬼文書』(くかみもんじょ)などに記されていますが、それらの書の真偽と同じく、神代文字の正当性も議論分かれるところです。

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どちらにせよ、この彫られた文字は後世のもので、修験者が彫ったものだろうということです。
それよりも僕には、この磐座が月形をしていることの方が気になりました。
豊家は月神信仰です。
豊家に感化された越智家の末裔が月神を祭祀したのではなかろうかと、ふと思われたのでした。

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12件のコメント 追加

  1. narisawa110 より:

    ミホススミをダイレクトに祀る神社って、新潟が結構多いようです
    https://mihosusumi.studio.site/subpage
    最近良いサイトを見つけました。
    そこにも神代文字の件がていますね。

    島根県に1社(美保関)、石川県に1社(珠洲市)、富山県に1社(氷見市)、新潟県に13社(出雲崎町に2社、長岡市に11社)。このほか長野県に5社(中野・上田・千曲市に各1社、佐久市に2社)、群馬県に8社(中之条、東吾妻に各1社、渋川に2社、前橋に4社)、埼玉県に1社(岩槻)

    ドキリとしたのが名前が変わった形の
    須坂市の須須岐水神社

    松本市の美ヶ原のふもとには、天皇陛下も来られたお船祭りのある、すすきがわ神社があり、基本的にはタテミナカタ系の神社として御柱もある普通の諏方系の神社と考えてきましたが、漢字にすると須須岐水神社

    私のレコにも、御柱に×の字を書く神社として出てきます

    字が全く同じなのです。
    近くを流れる薄川の名前から来たと思われてきましたが、ミホススミを隠すための神社の可能性もあるなと思いました。

    諏方系の神社かと思ったら恵比寿色が強いことになり、一部の人には波紋を呼びそうですw
    兄妹で神社の元締めになっているとは驚きですね

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    1. CHIRICO より:

      このサイトのことは知っていましたが、あまり詳しくは見ていませんでした。
      なるほど面白い情報ですね。
      ところでミホススミと美穂津姫の関係ってどうなんでしょうかね。
      僕は単純に、ミホススミの名を変えたものだとの認識でしたが、美保神社で事代主と並んで祀られているところを見ると、あるいは沼川姫の事かもしれないと思うようになってきました。
      沼川姫の別名が美穂津姫であり、その名をとって娘の名をミホススミにしたのではないかと。
      静岡の美保の松原に御穂神社があり、美穂津姫が祀られていますが、島根美保関の一族が移住してきたと考えるよりも、諏訪のミナカタ族が南下してきて父神母神を祀ったと考える方が納得いく感じです。
      しかし諏訪にミホススミを祀る一族がいたのだとしたら、静岡の御穂神社もミホススミを祀ったのかもしれません。

      いいね

  2. narisawa110 より:

    そういえば、軽井沢近くに、おちこち宮という神社があるのを思い出しました
    当て字が変な形になってますがもしかしたら、越智かもしれません

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      越智家の大元がどこなのかが気になっています。
      宇佐公康氏によると宇佐家(豊家)と越智家は敵対していたようなのですが、四国を訪ねてみると越智区でも月神信仰の気配が感じられます。元は同族なのではないかと考えています。
      その越智家が白山信仰の由来となるのなら、謎の祭神・菊理媛の正体がわかるような気がしています。

      いいね

      1. narisawa110 より:

        実は、二田物部氏は九州の地盤では月神を奉じていた様なのです。
        更には、三嶋姓でも、物部説の延長で、饒速日の後裔として、越智氏があり、三嶋大祝家がありますので、二田物部、超智氏には投影の重層が伺えるのです
        今度、二田物部神社の件、ご報告いたしますね

        いいね: 1人

        1. CHIRICO より:

          九州に二田物部氏がいたのですね、興味津々です!

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      2. narisawa110 より:

        二田物部関連で、こんなページを見つけています
        https://gamp.ameblo.jp/hiborogi-blog/entry-12237302311.html

        月読が後になってきていますが、全く月信仰と遠いかと言えばそうでも無いのかもしれません

        しかし、謎は残ります
        第一次物部東征は、姫巫女不在により失敗とされますが、次の東征では、月の卑弥呼を持ってきたというのが出雲伝承

        しかし、一月、二月という月の数え方の事が富士林先生の本には出ており、月神信仰は既に九州以外にも存在していたと考えるのが妥当なのかもしれません

        そこで問題になるのが物部の太陽。
        謎の出雲帝国でも、アマテル神社は昔は男神
        ここにも男神か女神かを論じているところがあります
        https://lunabura.exblog.jp/amp/15604815/

        そしてアマテルクニヒコアメノホアカリニギハヤヒ

        物部がいつ太陽信仰を取り込み、出雲太陽の女神と集合し、アマテラスになったのか、

        二田物部、越智、三島家が何か関わってる気がしてきました

        いいね: 1人

        1. CHIRICO より:

          農作物を栽培する上で重要なのは太陽より月齢の方です。なので月神信仰自体は全国的にあったのではないでしょうか。その中で特出していたのが豊家であったということで。

          物部もいつまでも星神頼りではなかったでしょうから、太陽神・月神も取り込んでいったものと思われます。
          年末は時間が取れないので、年が明けたら九州の二田物部の聖地巡礼もしてみます。楽しみが増えました😊

          いいね

          1. narisawa110 より:

            もう半ば、謎の超データベースと化している感のある先生のHPw

            本日の三嶋調査結果です。
            比較的考えをまとめる際に三三嶋社と、系図に関して出ています。
            http://goutara.blogspot.com/2018/?m=1
            越智氏や、河野氏に関して出ています。

            先生の分析の通り、私は九州とヤマトは古い段階から繋がりがあって、拠点も双方にあったと思います。
            大元本によれば、徐福集団は稲作以外の文化の地域から来ており、現在では考古学上も徐福渡来は水稲栽培とは無関係である事も判明しています。
            凄いのが佐賀の水稲遺跡で前10世紀でしたっけ。
            ヤマトは、村雲王が入る100年ほど前の御所の中西遺跡があります。
            私は中西遺跡が三嶋の開発であると考えていますが、よーく考えると出雲伝承でも、単に摂津の豪族としか出てないんですよね。
            村雲か、次代の大王の兄弟が神八井耳で、大王関係者が伊都国の長官をやり、都が九州にあるかの様に見せかけ、国防に当たったのなら、大和の権力が九州に拠点があった事になります。
            よく考えたら奈良にも宗方家の神社があります
            つまりは物部の拠点もあったと思う訳です
            最近お知らせした、紀元前後の奈良の古代製鉄、和泉の遺跡には国産鏡が出ています
            http://goutara.blogspot.com/2018/?m=1
            物部の拠点という考え方もできる訳です。
            オミツヌの代で出雲の国は最大となり、神無月会議では足りない食糧を融通し合う仕組みが出来ていたとされます。
            出雲伝承が村雲が前2世紀となるので、それより前の中西遺跡の稲作は、物部氏が持ってきたものではなくなりますが、確かに村雲より先に手広くやってる豪族がいて、故にお嫁さんが出雲に入ったという事は確かと思われます。
            さて、大山祇を祀るのなら、三島はクナトの勢力なのでしょうか?

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          2. CHIRICO より:

            僕自身、調べ物をする時、自分のブログ内検索をかけていたりします。もうすでに、自分で書いたことを忘れかけているので😁
            またnarisawaさんはじめ、多くの方の貴重なコメントも頂いてますので、もはや謎の超データベースですね、確かに!写真が多すぎて、容量確保のため、現在年間10800円のプランに加入していますが、これを維持しなければこの超データベースを失うことに😱さらに恐ろしいのは13GBの保有スペースをすでに60%以上消費している事実!次のプランはかなりお高いのですよ。。大丈夫か、オレ。。。

            そういえばまだ未投稿の記事で、10月に大三島の大山祇神社に行きましたが、そこに祖神大山積大神を祀った乎知命のお手植楠って御神木がありました。
            大山・積の神、乎知(おち)、樹齢2600年って。。
            紀元前600年ごろに大山の神(クナト)を祀る三島族に越知を名乗る者がいたってことでしょうか。
            三島=越智?ですかね。

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  3. れんげ より:

    こんにちは。
    応神天皇が敦賀で神様と名前を交換とか、神武も崇神もハツクニシラススメラミコトだったりとかいう、古事記や日本書紀のナンノコッチャ?を「ああ、何かそんな事情があって、あんな記載をするに至ったのですね」と納得させてくれる気持ちのいい考察ですね♪。

    ちなみに、今回の「ミホススミノミコト」と書かれているという文字については、「コ」だけがハングルの「コ」の音と一致しますが、これはたまたまかな。何でも結びつけるのもいけませんね(^^;)。

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    1. CHIRICO より:

      れんげさん、おはようございます♪
      『日本書紀』にある「応神天皇の子の大鷦鷯尊と武内宿禰の子の平群木菟宿禰とは同日に生まれた。その際、応神の子の産殿には木菟が、武内宿禰の子の産屋には鷦鷯がそれぞれ飛び込んだので、その鳥の名を交換して各々の子に名付けた。」というのも、武力で王朝がとって替られたことを意味しています。
      応神帝の息子はウジノワキイラツコでしたが、武内宿禰系のオオサザキ(武内襲津彦の甥・平群臣都久の子?)によって殺されたとのことです。

      神代文字はいわゆる偽書と呼ばれるものに書かれているので、一概に否定はできませんが、扱いは慎重であるべきでしょう。
      大分の方にも象形文字タイプの豊国文字が刻まれた石があるそうなので、いつか訪ねてみようと思います。

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